2011年3月11日、東日本大震災。当時は東北地方太平洋沖地震という名前だったかな。あれから早くも一年が過ぎました。
人生で初の震度6という揺れを体験したわけですが、地震よりも、その後の津波被害と原発被害の方が大きすぎて、地震の揺れだけの被害はいつの間にか黙殺されかけていたようにも感じます。
12日には長野県栄村で震度6強、15日には静岡県富士宮市でも震度6強と、昨年の今日を境に各地で大きな地震が頻発するようになり、改めて地震大国と呼ばれることに恐怖を覚えるばかり。
一年が経ち、復興も徐々に進んでいるとは言うものの、いまだに原発の問題は先が見えない状況だし、津波被害のあった地域もほとんどが新地のまま。
被災地に募金をして復興に協力はするけど、被災瓦礫の受け入れは断固拒否するという、偽善とも取れるような人々も多いこと。
またこの先、震度7クラスの地震が来ると言われる関東地方や、「必ず来る」と言われている東海・東南海・南海地方や牛伏寺断層周辺などで大きな地震が起きることを考えると、今はまず東北地方を早く復興させて、次の地震に備えることも必要なんじゃないかと。
…今の政府じゃ無理か。この一年の対応を見れば、希望なんて見えてこないもんなぁ。
初稿:2012年3月11日
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