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四方山話

東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)

東日本、とくに太平洋側を壊滅に追いやった、最大震度7の巨大地震と巨大な津波。そして計画停電と原発の放射能漏れ。

この日を堺に、まわりの人々から笑顔が消えました。

2011年3月11日 14時46分

大きな揺れにただただ呆然

その日はたまたま家にいて、子どもと遊びながら自宅PCで仕事をしていました。少し遅めの昼食を食べ、ひといきついて仕事を再開しようとした時、ゴゴゴゴゴゴという地響きが。

あ、また地震だ。

その頃はときどき地震があったため、またいつものだ、というくらいの感覚でした。地響きの後、いつものようなグラグラという揺れ。しかし、この日はいつもと違って、1分くらい経っても揺れが収まらず、それどころか次第に揺れが大きくなってきました。

なんかヤバそう。

そう思って慌ててPCから離れ、近くにいた子どもを抱きかかえたころには、すでに経っているのも困難なくらいの大きな揺れに。

最初の揺れから3分以上は続いたでしょうか。今までに体験したことのない大きな揺れがやっと収まってきた頃には、家の中にはいたるものが散乱し、食器などもいくつかが床に落ちて割れていました。

揺れている間はとても冷静で、揺れて倒れそうになるテレビがとてもゆっくり動いているように見え、ただただ「倒れないで、壊れないで」と思っていた気がします。

ニュース番組も大混乱

揺れが収まったところで、すぐにテレビをつけてみました。誰もいないスタジオで、セットが左右に揺れている映像でした。東京の方は、少し遅れて揺れたんでしょう。その後、映像が乱れた後、臨時ニュースに切り替わって地震情報を流し始めました。

その後も続く余震に、スタッフもキャスターもバタバタしている感じでした。

そんな中、今回の地震のマグニチュードが7.9と発表され、その後8.4、さらに8.8に引き上げられ、最終的に9.0とされました。最大震度は7、自宅のある地域は震度6弱でした。

買い物に出たら街中は大パニック

地震でガスが止まってしまったので、16時頃に意を決して買い物に出たところ、停電で道路の信号が消えており、大渋滞に加えて強引な割り込みなどがあり、今にも事故が起きるんじゃないかという雰囲気。

そんな様子を横目に近所のコンビニに行ってみると、すでに食料品はほとんどなく、わずかなカップラーメンとお菓子と、レジ横のホットスナックだけ。それでも店内は買い物客でごった返し。スーパーはどこも早々に店じまいをしてしまったようで、唯一開いているコンビニに集中してしまったのでしょう。

幸い自宅は電気が通っていて、ラーメンなら買い置きがたくさんあったので、その日は買い物をせずそのまま帰宅して、夕飯は袋ラーメン(インスタントラーメン)を電子レンジで調理して食べました。

どんぶりに麺を入れて、通常より1割くらい多めに麺が隠れるくらいのお湯を入れ、ラップをせずにそのまま電子レンジに入れて500Wで2分30秒。やわらかめが好みなら3分。ガスが使えないときはおすすめです。

ライフラインは水道がしばらくダメ

地震当日の夜にはガスが復旧しましたが、すぐに断水するという連絡があったので、あわてて浴槽に水を溜めました。トイレを流すために大量の水が必要なので、災害時は真っ先に浴槽に水を溜めることをおすすめします。

電気とガスは使えても、水が完全復旧するにはこの後2~3日かかりました。

子どもがまだミルクなので、水が使えないのが一番不安でした。調乳にも使えるよ、と書かれたペットボトルの水をたくさん買い置きしておいたので、飲料水に困ることはありませんでしたが、もし買い置きしていなかったことを考えるとゾッとします。

アイキャッチ[授乳]
ミネラルウォーターでの調乳はここに注意!

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輪番停電

本震から3日目。ようやくチョロチョロながらも水が出るようになってきたけど、このまま正常圧になるのか、また断水になるのか、という不安の中、それでも電気があるので何とか生活はできる、と思っていた矢先、輪番停電の情報が出てきました。原発が止まってしまったので電力が足りず、エリアごとに順番に停電させるとのこと。

震度6クラスの地震が来た被災地である自宅地域も、どうやらこの輪番停電に協力することになり、自宅地域は第一グループ(6時20分~10時、16時50分~20時30分)と第三グループ(12時20分~16時)に入っていました。起きている間はほとんど停電するってことなのか、この時間の中からランダムに3時間なのか。最初、各地域での停電は3時間程度、という話だったけど、東京電力の発表が曖昧すぎて、さっぱりわかりませんでした。

電気が足りないんだから協力しようとは思いますが、何が一番困ったかというと、東京電力が発表した停電エリア名に新地名・旧地名が混在していたり、同じ地名が複数記述されていたり、翌日から始まる予定なのに確定情報じゃなかったり。何もかも曖昧で適当すぎて、素直に「はい、わかりました」と言える状況ではありませんでした。

実際に輪番停電が始まると、真っ先に停電させられたのは茨城県と静岡県の第5グループにわけられた地域。なんと被災地が優先的に停電にさせられました。自分たちより被害の大きな地域が先に停電になっていることで、非常に申し訳なく思うと共に、東京電力への言いようのない軽蔑感がありました。

その後、茨城県全域と千葉県の一部被災地域は、とりあえず当面は計画停電の適用外になりました。とりあえず…。

ACのCMが叩かれる

本震の後、テレビではCMを流さずに報道番組を続けていましたが、一週間ほど経つと民放各社では報道特番中もCMを入れるようになりました。しかし提供企業がCMを自粛しているため、ACのCMが繰り返し流されることになりました。

ACのCMでは、最後に高めの声で「えーしー」と入るため、そのフレーズが嫌でも耳に残り、地震から数年が経過しても、いまだにこの「えーしー」というフレーズを聴くと、震災時の恐怖が蘇るという方もいるようです。

関係者は「今回の件で悪いイメージがひとり歩きしているのが怖い。本当の姿を知ってほしい。」と言っていましたが、状況を考えると、仕方がないのかな、とも思えます。

ガソリンが不足・宅配便も来ない

地震があってからというもの、ほとんどのガソリンスタンドでガソリンの在庫が尽きていました。また、道路状況も悪かったこともあると思いますが、県外からの宅配便も全て止められており、実家から食料品を送ってくれるという話も、運送業者に受付してもらえなかったとのことです。

本震から12日目、2chの地域別情報スレを見ていたら、ようやく給油できるスタンドが増えてきたという情報があったので近所のスタンドに行きましたが、ガソリンを求めるクルマの大行列。そして給油制限があるのか、20リットルくらいで給油ストップでした。

結局、ガソリンを満タンで入れられるようになったのはさらに一週間後くらい、宅配便が普通に届くようになったのもその頃だったかな。

なんとか営業を再開しても…

物流が動かなければお店に並べる商品も届かいので、近所のスーパーの陳列棚はほとんど空っぽの日が続いていました。カップラーメンコーナーもご覧の通り。

商品がなくてガラガラの陳列棚

そして、ようやく営業を再開したホームセンターは、天井が剥がれ落ちた状態だったのも印象的。修理されたのはだいぶ経ってからでした。

地震で剥がれ落ちた天井

体験しないとわからない大変さ

自宅地域は震度6弱だったとは言え、ライフラインは水以外がずっと使えていて、倒壊被害などもそこまで無く、津波や火事の被害もなかったので、被災地の中では大変ではなかったかもしれません。

それでも、毎日震度5レベルの余震があったり、水の問題や食料のことなど先が見えない様々な不安があったり、それなりに辛い思いはしました。

でも、この話をすると「大げさだよ」とよく言われます。特に団塊世代以上の方に。

津波が来なかったんだから大したことないじゃん、大げさだな。
俺は震度4の地震を経験してるんだよ。震度6なんてたかだか数字が2増えただけで、大して変わらないだろ。
たかが地震くらいで何をいってるんだい。

自分も体験しなければ、そう思ってしまうかもしれません。体験したからこそ、地震の本当の恐ろしさ、その後の大変さがわかったんですから。

初稿:2011年3月11日


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