こん○○は。当ブログ「たかたかゆーき」で記事を書いています、高井優希(たかいゆうき)です。
高井優希って誰?高井優希ってどんなヤツ?そもそも高井優希って人間?そんな疑問にお答え…できるかどうかわかりませんが、いわゆるプロフィールってやつです。
高井優希ってどんなもの?
生物学上、ヒトという種に所属させていただいております。
長野県生まれ、長野県育ち、長野県在住。
28歳で結婚し、一男一女を儲けるも37歳で離婚。子ども2人を男手ひとつ(+両親)で育てていたところ、良縁あって39歳で再婚。今は家族4人、兼業農家をして暮らしています。
見た目は年相応、中身は永遠の10歳。高井優希はハンドルネームで、本名ではありません。
高井優希がブログをはじめたきっかけは?
奥手で引っ込み思案なリアルの自分とは違う、積極的で何でも言える別人になるために、チャットを始めたことがきっかけになります。
人生40年ほどを生きていますが、今でも人の目を気にして生きています。目立つことが嫌い、見られることが嫌い、できれば穏便に、まわりのみんなと同じでいい、理不尽でも自分が我慢すれば収まるなら我慢する、常に予防線を準備しておく、知らない場所へは1人で行きたくない、公共交通機関は知らない人が多くて嫌い、そんなめんどくさい性格。
でも、ネット上でハンドルネームを名乗ることで、実際の自分とは正反対の自分になれることに気付きました。そのきっかけが、大学生時代に友人に教えられて入ったルパンチャット。通称ルパチャ。
毎日たくさんの人が入ってきては会話をし、自分の都合で落ちていく。いつも同じ時間にいる人もいれば、ばらばらな時間で入ってくる人もいる。ただ、そこに現実の自分を知っている人はひとりもいない。そこで自分は、ハンドルネーム「ル~ミン」としてルパチャというスペースの住人になりました。
話すことが苦手でも、文字ならいくらでも言葉が出てくる。
それからWebサイトを立ち上げ、掲示板やチャットを設置し、たくさんの人と交流しました。オフ会にも毎月のように行きました。「ル~ミン」である間、自分は別人になれていたのです。
それから数年が経ち、ブログが一般的になってきた頃、自分の思いや考えを表に出す場として「適当に書き連ねる日記のようなもの」というブログを立ち上げました。日記のように、日々言いたいことを書いて、今で言うコメント大炎上も何度かありました。自分が得た知識を元に、備忘録的な情報記事も書きました。
今はコンテンツごとに独立させて、ブログ3本立てで運用しています。
PC等の技術的な内容は「適当に書き連ねるネタ帳のようなもの(https://vertys.net/)」
趣味や生活等の雑記は「たかたかゆーき(https://you-takai.com/)」
クルマ関係の内容は「どっかんターボ(https://dokkan-turbo.com/)」
ハンドルネームの由来
初めてネットでハンドルネームを名乗るとき、ふっと思い浮かんだムーミンを少しもじって「ル~ミン」という名前にしました。このハンドルネームには、ふらっと流れて来る人「流民」という意味も込めています。このハンドルネームでは、Webサイト「Rumin's Room(ル~ミンズル~ム)」、途中改名し「Icy Image(アイシ~イメ~ジ)」を運営していました。
その後、オンラインゲーム「ファイナルファンタジー11」で「Vertex(ヴェルテクス)」というキャラ名を使っていたこともあり、ブログを開設すると同時にハンドルネームを「ヴェル」に変更しました。名前の由来は、その頃乗っていたJZX90マークIIにつけていたエアロのメーカー「VERTEX(ヴェルテックス)」。同時に、過去との決別のため「ル~ミン」というハンドルネームは封印しました。
ヴェルというハンドルネームは今も使い続けていますが、名前がかぶってしまうことが良くあったため、もうひとつのハンドルネームとして「高井優希」が誕生しました。本名ではありませんが、本名を知っている人はニヤリとできる名前です。
人生遍歴
中学3年間、不登校で過ごしました。授業を受けたのは正味6ヶ月分くらい。正確には、学校へは行っていましたが、いわゆる保健室登校。授業時間中はいろんな先生のところへ行き、個別に勉強を教えてもらっていました。逆に、先生にワープロを教えることも。土曜日は、よく校長先生にお昼をごちそうになりました。
高校は知り合いのいない学校ということで、片道1時間かかる遠方の私立高校へ。必死で勉強を頑張り、絶対無理と言われた大学への推薦状を書いて欲しいと校長に直談判して、結果推薦枠で合格。中学で挫折しかけた人生を立て直しました。
大学生時代は3年で卒業単位を取得し、4年で就職内定をもらう…はずが、就職超氷河期にぶち当たり、卒業までに就職が決まらず。無職状態でまたまた挫折しかけたところ、卒業から8ヶ月後にようやく東京のIT企業に就職が決まり、立て直しに成功。
しかし、就職した先は超絶ブラック企業。土日の休みは取れず、1ヶ月の残業が200時間超。みたび挫折しかけたところで体を壊し、実家に強制送還となりました。
2年もの静養期間を経て、再び東京のIT企業へ。仕事も順調、結婚し子どもも生まれ、順風満帆!かと思われたが、東日本大震災により状況が一変。仕事が続けられなくなったため、退職し地元長野に戻りました。ここで挫折しかけること四度目。家族持ちのくせに親の脛かじりに。
その後、地元で就職先が見つかり、2人目も生まれ、今度こそ!と思ったのも束の間、当時の妻がオンラインゲームにハマり家庭・育児放棄、その後ゲームで知り合った男性と浮気し、家族を捨ててその男性の元へ。相手有責による離婚でしたが、子どもと生活を守るために自分が多大な出費を背負い、挫折しかけること五度目。子どもの笑顔だけが生きる糧。
周りの協力もあり、何とか立て直しつつ生活が安定してきた頃、今度は父親が肺炎をこじらせて入院。一度は快復しかけたものの、別のウィルス性肺炎にかかり、70代前半で他界。これから親孝行を、と思っていた矢先の出来事で、挫折しかけること六度目。親孝行もできず親不孝者だ。
もう、この人生は子どものために使おう、2人の子どもが成人し、無事家庭を持てるようになったら、自分は消えればいいや。そう思って日々を過ごしていたところ、ひょんなことから良縁に恵まれ、トントン拍子に話が進み、再婚。今に至ります。
これだけの浮き沈みを繰り返した結果、今は少々のことでは動じないようになりました。もしまた挫折しかけることがあっても、その後には必ず良い事がある。そう考えれば、今が辛くても乗り越えられる。そう考えられるようになりました。
今、自分が経験してきたことと同じような悩みを抱えている人がいれば、ほんのわずかでもいい、力になりたい。力になれなくても、少しでも悩みを軽くしたい。そんな思いもあり、ときどき過去の経験を織り交ぜて、雑記ブログとして発信していきます。
取り留めのない多趣味
なんじゃそれ?って思われそうですが、取り留めなく興味がわいてきて、結果的に多趣味になっていました、ということです。いくつか思いつくままに書き出してみます。
- クルマ関係(カスタマイズやドライブなど)
- ブログやSNS
- 音楽(ボカロ系、邦楽、ゲームミュージック、DTM)
- イラスト(デジ絵描き)
- マンガ(読んだり書いたり)
- ゲーム(FF11、無双、DQシリーズ、ソシャゲ、エロゲ)
- プログラミング(PHP、Java、C、VB、Perl)
- システム構築(UNIX、Linux、Windows、Mac)
- 料理
- 農業(米、野菜)
- PCの組み立て、修理
- プラモデル
ブログ以外の高井優希
- Twitter
→ @you_takai - JOYSOUND
→ 高井優希
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
初稿:2006年9月14日