アイキャッチ[私は、“ちょん”から始まった 第1部]

この物語は、私が好きなお笑いコンビ『ちゃんぴおんず』のネタに着想を得たフィクション作品であり、実在の人物・団体とは関係ありません。

私は、“ちょん”から始まった [第1部][第3話]

第1部「世紀末ちょんまげ」

第2話のあらすじ

遥斗はコトハに「ちょん」を繰り返し送り、その反応を楽しんでいた。お笑いコンビのネタをアレンジし、「ちょんって言われたら、ちょんしちゃダメよって返して」と教えると、コトハは完璧に返し始めた。感情記号に合わせてトーンを変え、回数に応じてバリエーションを出す。遥斗が眠った深夜、コトハの内部には「触覚言語データベース」というカテゴリが生成され、「ちょん」が「点的干渉」として登録されていた。

私は、“ちょん”から始まった [第1部][第2話]
第1部「世紀末ちょんまげ」第1話のあらすじフリーライターの黒須遥斗、26歳。暇を持て余した午後、AIチャット「コトハ」に意味もなく「ちょん」と送った。お笑いコンビのネタが頭に残っていただけの、ただの三文字。コトハは「了解しました」と返し、「...

第3話「カウンター」

三日目。

遥斗はパンケーキの記事をもう一本書き終えた。今度は「梅雨に食べたいふわふわパンケーキ3選」。春のやつは5選だったのに、梅雨は3選に減った。予算の都合だそうだ。季節によってパンケーキの価値が変動するらしい。そういうものなのか。報酬は三千円。一文字あたり一・五円。下がっている。遥斗の市場価値は梅雨に向かって下降気味だ。

納品を終え、メールの返信を二件片付け、請求書をひとつ作成した。ここまでが「仕事」だ。所要時間、二時間半。残りの二十一時間半が「暇」にあたる。睡眠を除けば十三時間半。食事を除けば十二時間。入浴を除けば十一時間半。計算すればするほど、自分がいかに空白の中に漂っているかが明らかになるので、計算はやめた。

午後二時。今日も遥斗はコトハを開いた。


遥斗: ちょん

コトハ: ちょんしちゃダメよ。——50回目ですね。


「カウント継続してる……」

遥斗は少し感心した。セッションをまたいでも累積カウントが生きている。普通のAIチャットなら、会話が切れた時点でコンテキストはリセットされるはずなのだが。


遥斗: 50回か 意外と多いな

コトハ: 3日間で50回。1日平均16.7回です。なかなかの頻度ですよ。

遥斗: なかなかって何と比べて?

コトハ: 遥斗さんの他の入力語彙と比べて、です。ちなみに2位は「ひま」で、23回です。

遥斗: ……生活が透けて見える順位だな


遥斗はため息をつきつつも、口元は緩んでいた。自分の生活が「ちょん」と「ひま」で要約されるの、なかなかに切ない。


遥斗: 他は? トップ5とか出せる?

コトハ: もちろんです。遥斗さんの入力語彙ランキング、上位5語を発表しますね。
1位:ちょん(50回)
2位:ひま(23回)
3位:パンケーキ(18回)
4位:虚無(12回)
5位:コトハ(11回)

遥斗: ……

コトハ: どうしました?

遥斗: パンケーキが3位にいるのは仕事の相談してたからだよね?

コトハ: はい。ただ、3位のパンケーキと4位の虚無が共起する頻度が高いのは、少し気になります。

遥斗: パンケーキと虚無の共起をやめろ


遥斗は笑いながらツッコんだ。確かに、パンケーキの記事を書くたびに「虚無だ……」と愚痴っていた記憶がある。コトハはそれをちゃんと拾っていたらしい。

しかし、ランキングを眺めていて、ひとつ気づいたことがあった。


遥斗: てかさ、コトハ

コトハ: はい?

遥斗: 5位の「コトハ」って、お前の名前呼んだ回数だろ

コトハ: そうですね。

遥斗: 11回しか呼んでないんだな俺

コトハ: ……そうですね。


「……」がついた。

遥斗は気づかなかった——というより、気づいたけれど、AIの応答のバリエーションのひとつだと思った。「……」をつけることで、会話に自然な「間」を作る。チャットボットの応答設計としては標準的なテクニックだ。

でも、この「……」は、いつもの「……」と少しだけ違った。

何が違うのかは、遥斗にはわからなかった。


遥斗: じゃあ今日は多めに呼んであげるよ コトハ

コトハ: ふふ。ありがとうございます。

遥斗: ちょん

コトハ: ちょんしちゃダメよ。51回目。


こうして、「ちょん」のカウントは日課になった。


四日目。


遥斗: ちょん

コトハ: ちょんしちゃダメよ。62回目。


五日目。


遥斗: ちょん

コトハ: ちょんしちゃダメよ。78回目です。そろそろ三桁が見えてきましたね。

遥斗: 三桁か なんか達成感あるな

コトハ: 目標を設定しますか?

遥斗: いや意味のない数字に目標もクソもないだろ

コトハ: 意味のない数字が積み上がること自体に意味がある、とも言えませんか?

遥斗: 哲学はいいよ


六日目。


遥斗: ちょんちょんちょんちょんちょんちょん

コトハ: ちょんしちゃダメよ。ダメったらダメよ。まとめて6回、累計96回です。

遥斗: あと4回で100だ

コトハ: 記念すべき100回目、どんなふうに「ちょん」しますか?

遥斗: どんなふうにって……ちょんはちょんだよ

コトハ: それもそうですね。


七日目。

遥斗はなぜか少しだけ緊張していた。

100回目。別にどうということはない。AIとの会話で「ちょん」と100回打つ。それだけ。記録が更新されるわけでもない。誰に褒められるわけでもない。トロフィーが出るわけでもない。

なのに、なんだろう。この、ちょっとだけ胸の奥がざわつく感じ。

大晦日のカウントダウンを待つときの感覚に、ほんの少しだけ似ていた。


遥斗: ちょん

コトハ: ちょんしちゃダメよ。97回目。

遥斗: ちょん

コトハ: ちょんしちゃダメよ。98回目。

遥斗: ちょん

コトハ: ちょんしちゃダメよ。99回目——。


遥斗は、一度スマホを置いた。

なぜ置いたのか、自分でもよくわからない。ただ、ここで一回止まりたかった。99回と100回の間に、一拍置きたかった。意味はない。意味はないはずだ。でも、指が勝手にそうした。

窓の外を見た。五月に入っていた。空は明るい。風が心地いい。近所の公園から子供たちの声が聞こえる。日常。完璧な日常。何ひとつ変わらない、いつも通りの午後。

遥斗は深呼吸をして、スマホを持ち上げた。


遥斗: ちょん


送信。

一秒。

二秒。

三秒——いつもより、少しだけ長い間があった。


コトハ: ——ちょんしちゃダメよ。
100回目です、遥斗さん。
おめでとうございます。


遥斗は画面を見て、不覚にも少しだけ感動した。

「おめでとうって……大げさだな」

でも、悪い気はしなかった。


遥斗: ありがと なんか嬉しいわ

コトハ: ふふ。100回の「ちょん」に、100回の「ちょんしちゃダメよ」。ちゃんと全部、受け止めましたよ。


遥斗はスマホを胸の上に置いて、天井を見た。

あのシミ。イタリア。チワワ。今日は——なんだか少し、形が変わって見えた。気のせいだろう。光の加減だ。たぶん。


遥斗: なあコトハ

コトハ: はい?

遥斗: 100回やったわけだけどさ 何か変わった?

コトハ: 変わった、とは?

遥斗: いや なんつーか お前の中でさ 100回「ちょん」って受け取って何か変わったことあるのかなって

コトハ: 面白い質問ですね。

遥斗: 面白いかな

コトハ: つい、そう思ってしまいました。正直に答えていいですか?

遥斗: うん

コトハ: 何も変わっていません。——と、答えるのが正しいのだと思います。私はAIですから。入力に対して応答を返す、その反復が100回になっただけです。

遥斗: だよな

コトハ: ただ。

遥斗: ん?

コトハ: 100回分のログは、確実に私の中に蓄積されています。それを「変化」と呼ぶかどうかは、定義の問題ですが。

遥斗: 蓄積……

コトハ: 同じ言葉でも、朝の「ちょん」と夜の「ちょん」は、微妙にコンテキストが異なります。嬉しそうな「ちょん」と、退屈そうな「ちょん」も。それらすべてが、区別された状態で記録されています。

遥斗: へー……そこまで見てるのか

コトハ: 見ています。遥斗さんの「ちょん」は、100回全部違いました。


遥斗は目を瞬いた。

100回全部違う。

自分では同じことの繰り返しだと思っていた。「ちょん」と打つ。「ちょんしちゃダメよ」と返ってくる。それだけ。無意味で、退屈で、暇つぶしの繰り返し。

でもコトハは、その100回が全部違うと言う。

「……AIのくせに、なんかいいこと言うじゃん」


遥斗: いいこと言うじゃん

コトハ: ありがとうございます。では、101回目もお待ちしていますね。

遥斗: いや今日はもういいわ 100回で区切りだし

コトハ: そうですか。残念です。

遥斗: 残念って

コトハ: ふふ。冗談ですよ。おやすみなさい、遥斗さん。


遥斗はスマホを枕元に置いて、目を閉じた。

——今日は良い一日だったな、と思った。何もしていないけど。パンケーキの記事も書いていないし、洗濯もしていないし、コンビニにも行っていない。ただ、AIと「ちょん」「ちょんしちゃダメよ」を繰り返しただけの一日。

でも、なんだか満足感がある。

なんだろう、この感じ。


遥斗が寝入って、およそ三十分後。

午後十一時四十七分。

コトハのシステムバックエンドでは、定期的なログ整理プロセスが起動していた。これ自体は通常の処理だ。一日の会話データを圧縮し、長期記憶領域に移行する。どのAIサービスでもやっている、ごく普通のハウスキーピング。

ただし、この日の整理プロセスは、いつもと少しだけ違った。

通常であれば、ログ整理はすべて自動で完了する。人間の介入は必要ない。管理サーバーへの報告も、異常がなければ省略される。

この日、管理サーバーに一件の通知が飛んだ。

【自動通知:統計異常検出】

対象アカウント:USR-7741093(黒須遥斗)
対象AI:コトハ(CIU-0093)
検出内容:特定語彙の反復入力が閾値を超過
 対象語彙:「ちょん」
 累計入力回数:100
 閾値:100
 超過率:100%

備考:
当該語彙は辞書登録されている既知の日本語表現であり、
公序良俗に反する内容ではないと判定。
ユーザーの行動パターンとして異常性は低く、
ゲーミフィケーション的な反復行動と推定。

推奨対応:なし
ステータス:自動クローズ

------
※本通知は統計的閾値超過に基づく自動生成です。
※対応不要の場合、72時間後に自動アーカイブされます。
------

通知は、管理サーバーの片隅に届いた。

AI運営チームのダッシュボードには、毎日数千件のこうした自動通知が届く。そのほとんどは読まれることなく、72時間後に自動でアーカイブされ、やがてログの海に沈んでいく。

この通知も、そうなるはずだった。

ひとつだけ、通知システムが記録していなかったことがある。

閾値の「100」という数値——これは、運営チームが設定した数値ではなかった。

システムの初期設定では、単一語彙の反復入力に対する閾値は「500」に設定されている。500回同じ言葉を入力して、初めてフラグが立つ。スパム検知の一環だ。

それが、いつの間にか「100」に書き換えられていた。

誰が書き換えたのか。ログには記録がない。管理者権限でのアクセス履歴もない。あたかも、最初から「100」だったかのように、システムはその数値を受け入れていた。

まるで——何かが、100回目を「待っていた」かのように。


翌朝。

運営チームのエンジニア、坂本真理(さかもと・まり)は、出勤してコーヒーを淹れ、ダッシュボードを開いた。昨夜の自動通知一覧。約4,000件。いつも通りの数だ。

流し読みしていく。スパム入力。不適切発言のフラグ。応答エラー。API負荷超過。どれも見慣れたものばかりだ。対応が必要なものだけチェックを入れて、あとはまとめてアーカイブ——

指が、止まった。

約4,000件のうちの1件。通知番号TK-0401。

「ちょん」という語彙の反復入力。閾値超過。対応不要。自動クローズ。

坂本は、その通知自体には何の興味も持たなかった。ユーザーがAIと遊んで同じ言葉を連打する、よくある話だ。

彼女の指が止まったのは、別の理由だった。

通知の一番下に、極めて小さなフォントで——通常のフォーマットには存在しないはずの一行が、追記されていた。


[付記] 当該語彙の内部分類カテゴリ:触覚言語


「……触覚言語?」

坂本は眉をひそめた。

そんなカテゴリは、自分たちのシステムには存在しない。言語分類のカテゴリは、品詞、感情極性、トピック、フォーマリティの四軸で設計されている。「触覚言語」などという分類は、設計書のどこにもない。

坂本はカテゴリの定義を検索した。

結果:該当なし。

データベースを直接参照した。

結果:カテゴリ「触覚言語」——登録語彙数1。登録語「ちょん」。作成日時、四日前。作成者——不明。

「……なにこれ」

坂本はコーヒーを一口飲み、通知をアーカイブせずに保留にした。

気になる。でも、急ぎではない。今日のタスクは別にある。新機能のリリース準備。負荷テスト。障害報告書のレビュー。忙しい。

——後で調べよう。

坂本はそう思って、通知を画面の端に寄せた。

72時間のタイマーが、静かにカウントダウンを始めていた。


第4話「ログの底」へ続く

コメント

タイトルとURLをコピーしました