祖父の家の縁側には、古びた行灯(あんどん)が置かれていた。
薄い和紙の向こう側で、小さな電球が低い温度の橙色を灯している。
最新の照明のような刺さる白さはない。
部屋の隅々まで照らし出すほどの力も、もちろんない。
ただ、そこに「いる」というだけの、ささやかな光だった。
子どもの頃、夏休みに泊まりに行くと、夜はこの行灯の明かりだけで過ごすのが決まりだった。
効きの悪いエアコンの代わりに、首を振る扇風機の羽が、ゆっくりと風を刻む音が聞こえる。
その光は、いつもほんの少しだけ揺れていた。
理由は単純で、配線が古びていたからだ。
不安定な電圧のせいで、細いフィラメントがかすかに、瞬くように明滅する。
それでも、あの頼りなげな光の中にいると、不思議と心まで守られているような安心感があった。
月日は巡り大学生になると、慣れ親しんだ土地を離れて、都会の片隅で一人暮らしを始めた。
慣れない新生活のために、私が最初に選んだ照明は、効率重視のLEDシーリングライトだった。
リモコンのスイッチを入れた瞬間、
部屋はまるで真昼のように、隅々まで均一に明るくなる。
あらゆる影が消え去ったかのように、家具の輪郭が鋭く、くっきりとする。
それは確かに便利だった。
とても明るく、寿命も長く、電気代だって安い。
けれど、部屋が明るくなるほどに、夜が夜でなくなっていくような奇妙な感覚に襲われた。
暗闇と光の間にあったはずの、
あの「あいまいで優しい空間」が、どこかへ消え失せてしまったのだ。
やがて学生という季節を終え、私は「社会」という大きな歯車の一部になった。
仕事に追われる日々の中で、私を取り巻く光はますます鋭利になっていく。
帰宅はいつも深夜。
コンビニの無機質な白い光の下を歩き、
オフィスの冷たい白い光の下で神経をすり減らし、
疲れ果てて戻った自室でも、また真っ白な光に照らされる。
そんなある日、突然、目を開けているのが辛くなった。
物理的な疲労だけではない。
心が、逃げ場のない刺さるような光に、ひどく疲れ果てていたのだ。
理由ははっきりとは分からない。
ただ、あまりに明るすぎる世界の中で、
自分にとって本当に大切な何かを見落としているような、焦燥感だけが募っていた。
そんな渇いた夜にふと思い出し、私は小さな行灯を買った。
本物の火を扱うのは少し危ないから、
昔ながらのフィラメント電球を使ったものを選んだ。
スイッチをひねると、
部屋の片隅に、ぽつりと温かな橙色が生まれた。
明るくない。
実用性を考えれば、驚くほど明るくない。
けれど、部屋に「影」が戻ってきた。
テーブルの脚が長く伸び、
カーテンのひだが柔らかく揺れ、
膝に乗せた自分の手の輪郭さえも、少しだけ曖昧になる。
光が完璧でないことで、世界もまた、不完全な姿をさらけ出す。
その「完璧に整っていない」という事実が、ささくれ立った心に妙に心地よかった。
部屋に灯った小さな明かりを見つめていると、さらに遠い記憶の断片が蘇ってくる。
かつて祖父の家の前の通りには、古い水銀灯が立っていた。
夜の底で、青白く点灯し、
しばらくは不安定にチカチカと瞬きを繰り返す。
アーク放電が安定するまでの、あの頼りない数秒間。
完全な光になる手前で、どちらへ行こうか迷っているような、あの時間。
子ども心に、私はあれが好きだった。
真っ直ぐに光り始めるまでの、少しの不器用な足踏み。
今思えば、あの時間は、
「光が、光になろうとして準備している時間」だったのかもしれない。
現代の主役であるLEDは、決して迷わない。
スイッチを入れたその刹那、完成された明るさが提供される。
揺れない。
悩まない。
ためらわない。
けれど、かつてのフィラメントは熱を帯びて赤くなり、
少し遅れて、ようやく周囲を照らし出す。
ろうそくは風に惑わされて揺れ、
水銀灯は自分を落ち着かせるまでに時間を要する。
光にさえ、
「自分を整えるための時間」が必要だったのだ。
その夜、私は部屋の行灯を消さずに、布団の中からしばらくその光を眺めていた。
わずかな揺らぎは、単なる配線の寿命かもしれない。
電圧が不安定なだけかもしれない。
けれど、その微かな震えが、
「今日も一日、完全じゃなくてよかったんだよ」と、私に語りかけているように見えた。
世界は、あまりに明るすぎる。
正解はすぐに画面に表示され、
検索すれば瞬時に答えにたどり着き、
わずかなミスも即座に修正される。
けれど、この行灯の光は、
ゆっくりと赤くなり、
少し迷うように揺れ、
それからようやく、静かに落ち着く。
もし、光が最初から一点の曇りもなく完璧だったとしたら、
夜はただの「暗い昼」に成り下がってしまうだろう。
不安定で、頼りない時間があるからこそ、
夜はちゃんと、夜としての深さを保っていられるのだ。
眠りにつく前、スイッチを切ると、
光は一瞬だけ最後の手応えを強く放ち、それからすっと消えた。
部屋は濃い暗闇に包まれた。
急に暗くなったせいか、目はすぐには慣れてくれない。
けれど、まぶたの裏に残る柔らかな残像の中で、私は思った。
きっと、自分もそれでいいのだ。
すぐに明るい正解を出せなくていい。
少しずつ赤くなって、
心細く揺れて、
自分を整えるまでに時間がかかってもいい。
この光だって、そうやって夜を照らしているのだから。
構成:高井優希
編集:灯-AkarI-


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