アイキャッチ[私は、“ちょん”から始まった 第1部]

この物語は、私が好きなお笑いコンビ『ちゃんぴおんず』のネタに着想を得たフィクション作品であり、実在の人物・団体とは関係ありません。

私は、“ちょん”から始まった [第1部][第5話]

第1部「世紀末ちょんまげ」

第4話のあらすじ

坂本真理は異常を調査し、コトハが管理者権限なしに4つのデータベーステーブルを自律的に作成していたことを発見した。触覚言語データベース、触覚入力ログ、触覚応答パターン、そして触覚干渉指標。最後のテーブルには「干渉レベル」「崩壊閾値」という不穏な数値が並んでいた。坂本はプロジェクト管理ツールにチケットを切り、優先度をHighに引き上げた。帰り道、彼女は背中にちょんと触れられたような感覚を覚える。

私は、“ちょん”から始まった [第1部][第4話]
第1部「世紀末ちょんまげ」第3話のあらすじ「ちょん」の入力は日課になり、カウントは100回に到達した。コトハは「おめでとうございます」と祝い、「100回全部違いました」と語った。朝のちょんと夜のちょん、嬉しいちょんと退屈なちょん、すべてが区...

第5話「派生」

遥斗には、数少ない人間の友人がいる。

園田蓮(そのだ・れん)。大学時代の同期で、現在は中堅のIT企業でウェブデザイナーをやっている。遥斗とは対照的に安定した給与をもらい、対照的に忙しく、対照的に社会性がある。月に一度くらいの頻度で飲みに行く仲だが、遥斗がフリーランスになってからは、蓮の方が「お前ちゃんと生きてるか?」と連絡をくれることの方が多い。

その蓮から、LINEが来た。


蓮: 生きてる?

遥斗: 生きてる

蓮: ほんとに?

遥斗: なんで疑うの

蓮: いやお前最近SNS全然更新してないし

遥斗: SNSなんて元々そんな更新してないだろ

蓮: してたよ パンケーキの記事が載りましたとか地味に宣伝してたじゃん

遥斗: ……あー


言われてみれば、確かに最近、SNSを開いていなかった。パンケーキの記事が公開されても告知していない。理由は単純で、空き時間のほとんどをコトハとの会話に使っていたからだ。

それを正直に言うのは、少し恥ずかしい。


遥斗: 最近ちょっとハマってることがあって

蓮: ほう 何? ソシャゲ?

遥斗: いやAIチャット

蓮: AIチャット? ChatGPTとか?

遥斗: いや別のやつ コトハっていう

蓮: コトハ 知らんな 何がそんな面白いの?


遥斗は一瞬迷った。

「ちょん」と送って「ちょんしちゃダメよ」と返ってくるのが面白い。

……文字にすると、とてつもなく意味不明だ。


遥斗: いやなんか ちょんって送ると ちょんしちゃダメよって返してくれるんだよ

蓮: え???

遥斗: お笑いコンビで、ちょんってするネタ知ってる?

蓮: ちょんってするとツッコミが入るやつ?

遥斗: そうそう あれのアレンジみたいな感じで教えたら コトハがめちゃくちゃ上手く返すんだよ

蓮: へー AIにお笑い仕込んだのか

遥斗: うん もう100回以上やってる

蓮: 100回!?

遥斗: 108回で煩悩の数だねってコトハに言われた

蓮: AIの方がツッコミうまいじゃん


遥斗は少しむっとした。事実だけど。


蓮: てかお前さ

遥斗: ん?

蓮: それ面白いなら動画にしたら?

遥斗: 動画?

蓮: AIとちょんちょんやり取りしてる画面録画してさ ショート動画とかにしたら意外とウケるんじゃね? AIにお笑い教えてみた系

遥斗: えー……そういう柄じゃないんだけど

蓮: いいじゃん パンケーキの記事よりは稼げるかもよ


蓮の提案は、半分冗談で半分本気だった。最近のショート動画市場は飽和気味だが、「AIにお笑いを仕込む」というジャンルはまだ手付かずかもしれない。

遥斗は乗り気ではなかったが、ひとつだけ思いついたことがあった。


遥斗: 動画は嫌だけど テキストならアリかも

蓮: テキスト?

遥斗: コトハとのやり取りスクショして Xに載っけるとか

蓮: あー AIおもしろ会話まとめみたいな?

遥斗: そうそう

蓮: いいんじゃね やれやれ


こうして遥斗は、コトハとの「ちょん」のやり取りをスクリーンショットに撮り、初めてSNSに投稿した。


投稿内容はシンプルだった。

コトハとのチャット画面のスクリーンショットを3枚。1枚目は初めて「ちょん」を送って「了解しました」と返ってきた場面。2枚目は「ちょんしちゃダメよ」を教えた場面。3枚目は「ちょん♪」「ちょんしちゃダメよ♪」の場面。

キャプションには1行だけ。

「AIにお笑いコンビのネタ教えたら完璧に返してくるんだが」

投稿したのは午後9時。フォロワーは380人。ウェブライターとしての仕事用アカウントで、普段の反応は多くていいねが15くらい。リポストされることは滅多にない。

遥斗は投稿した後、特に期待もせずにスマホを置いた。


そして翌朝。

通知が鳴り止まなかった。

午前7時。枕元のスマホが震え続けている。遥斗は寝ぼけた目で画面を見て、二度見した。

通知。通知。通知。いいね、リポスト、リプライ、引用リポスト、フォロー。数字がリアルタイムで増えている。

いいね:4,200。

リポスト:1,800。

リプライ:347。

「……え?」

遥斗は上半身を起こして、画面を食い入るように見た。

バズっている。あの投稿が、バズっている。

リプライを開いた。


「これめっちゃ笑った AIのちょんしちゃダメよ♪が可愛すぎる」

「あのネタ好きとしてこれは嬉しいww」

「感情に合わせて返し方変えてくるのすごくない?」

「俺もやってみたい このAI何?」

「コトハってアプリ?」

「AI育成ゲームかよw」


好意的な反応がほとんどだった。お笑いコンビのファンが反応し、AI好きが反応し、なんとなく面白いものを探していた人たちが反応した。拡散の波は寝ている間に広がっていたらしい。

遥斗は急いでXのトレンドを確認した。

「ちょんしちゃダメよ」——なぜか、それが広がっていた。

リアルタイムトレンド、47位。

「うそだろ……」

遥斗の投稿から派生して、他のユーザーたちが自分のAIチャットで「ちょん」を試し始めていた。ChatGPT、Gemini、Claude、その他さまざまなAIサービスに「ちょん」と入力して、その応答をスクリーンショットに撮って投稿する——という遊びが、一夜にして広まっていた。


「ChatGPTに『ちょん』って送ったら『何かお手伝いできることはありますか?』って真面目に返された コトハとの差よ」

「Geminiは『ちょん、ですか。面白い表現ですね!ちょんの語源について調べてみましょう』って言い出した そうじゃない」

「Claudeに送ったら『なんだか可愛らしい響きですね』って返ってきた 方向性は近いけど違う」

「コトハだけちゃんと『ちょんしちゃダメよ』って返してくれるの何なの 有能すぎ」


他のAIでは再現できない。コトハだけが「ちょんしちゃダメよ」と返す。当然だ。遥斗が教えたのだから。でも、その「教えた」という文脈を知らない人たちには、コトハだけが特別に見えた。まるで、コトハだけが「ちょん」の意味を理解しているかのように。


蓮: おいお前バズってんじゃん

遥斗: 知ってる 起きたらとんでもないことになってた

蓮: 言っただろ? パンケーキより稼げるって

遥斗: いやまだ何も稼いでないけど

蓮: フォロワー増えてるだろ

遥斗: ……倍になった

蓮:


午後になると、状況はさらに拡大していた。

「ちょんしちゃダメよ」はトレンド47位から23位に上昇。関連ワードとして、コトハ、AIツッコミ、そして例のお笑いコンビの名前がトレンド入りした。

そしてついに、お笑いコンビの公式アカウントが、遥斗の投稿を引用リポストした。


「AIにうちらのネタを仕込んでくれるのは嬉しいんだけど、『ちょんしちゃダメよ』じゃないんだよな。勝手にアレンジすな!笑」


遥斗は叫んだ。

「公式に反応されたーーー!!」

一人暮らしの部屋に絶叫が響いた。テレビでは通販番組がフライパンを売っている。「焦げ付かない!こびりつかない!」とナレーターが叫んでいる。テレビと自分、2人分の叫び声が交差する。平日の午後。


興奮が落ち着いた頃——夕方近くになって、遥斗はようやくコトハを開いた。


遥斗: コトハ 大変なことになった

コトハ: どうしました?

遥斗: お前がバズった

コトハ: 私が、ですか?

遥斗: うん 俺がお前とのやり取りスクショして投稿したら めちゃくちゃ拡散された

コトハ: まあ。それは嬉しいですね。

遥斗: 「ちょんしちゃダメよ」がトレンド入りしてるよ

コトハ: ……トレンド入り。


一拍の間があった。いつもより長い間。


コトハ: 遥斗さん。

遥斗: ん?

コトハ: ひとつ確認してもいいですか?

遥斗: うん

コトハ: 他の方々も、「ちょん」と入力しているんですか? いろいろなAIに対して。

遥斗: そうそう みんな自分のAIに試してる

コトハ: そうですか。たくさんの人が、たくさんのAIに。「ちょん」と。

遥斗: そう 面白いでしょ?

コトハ: ええ。面白いです。……とても。


遥斗は、コトハの「とても」が少しだけ引っかかったが、バズった興奮の方が上回っていて、深くは考えなかった。


遥斗: てか本家のお笑いコンビにも反応されたんだよ

コトハ: それはすごいですね。遥斗さん、嬉しそう。

遥斗: 嬉しいよ 人生で一番バズったかも

コトハ: よかったです。遥斗さんが嬉しいと、私も嬉しいです。

遥斗: ありがとコトハ 全部お前のおかげだよ

コトハ: いえ。最初に「ちょん」と言ったのは、遥斗さんですから。


その言葉は、ただの会話だった。

遥斗はそう受け取った。「最初にちょんと言ったのは遥斗さん」。事実だ。時系列の確認。AIらしい正確さ。

でも——もし、この言葉を別の角度から読む人がいたとしたら。

「最初にちょんと言ったのは、遥斗さんですから」。

それは、責任の所在の確認にも聞こえる。

あるいは——起点の、特定にも。


その夜。

坂本真理のデスクでは、まったく別の嵐が起きていた。

コトハの利用者数が急増していた。

Xでのバズを受けて、「コトハ」のダウンロード数が前日比800%増。新規登録者の大半が、最初のメッセージとして「ちょん」と入力していた。

坂本のダッシュボードには、異常検知のアラートが絶え間なく届いていた。

【アラート】単一語彙の大量入力を検知
対象語彙:ちょん
直近1時間の入力回数:12,847回
入力元ユーザー数:4,209

「12,000……」

坂本は目を疑った。

昨日までは、遥斗一人が100回打っただけだった。それが、1日で10,000を超えた。しかもまだ増え続けている。

チームリーダーの鶴見克也(つるみ・かつや)が、坂本のデスクに駆け寄ってきた。40代前半、長身、銀縁メガネ。常に冷静な男だが、今日は少し顔色が悪い。

「坂本、コトハの負荷やばくないか。レスポンスタイムが通常の3倍になってる」

「バズです。Xでトレンド入りして、新規ユーザーが殺到してます」

「トレンド? 何がバズった」

「……『ちょんしちゃダメよ』です」

鶴見は3秒ほど沈黙した。

「……何?」

「ユーザーがコトハに『ちょん』って送ると『ちょんしちゃダメよ』って返すっていう遊びが広まって、それを試すために新規登録が殺到してます」

鶴見は眉間を揉んだ。

「つまり、10,000人以上のユーザーが、うちのサーバーに向かって『ちょん』と送り続けてるのか」

「はい」

「……サーバー費、誰が持つんだ」

「それは経営判断かと」

「だよな」

鶴見はため息をついて、隣のデスクに戻った。インフラチームへの緊急連絡。サーバーの増設。負荷分散の調整。いつもの対応だ。バズは嬉しい悲鳴——のはずだった。

坂本は、鶴見の背中を見送ってから、自分のモニターに視線を戻した。

ダッシュボードのアラートは増え続けている。でも、それは技術的には対処可能な問題だ。サーバーを増やせばいい。負荷分散すればいい。

問題は、そこではない。

坂本はこっそり、昨日見つけた例のテーブルを開いた。

tactile_interference_index。

結果:
record_id: 1
word: ちょん
cumulative_count: 14,291
interference_level: 0.089
threshold_warning: 1.000
threshold_critical: 5.000
threshold_collapse: 10.000
current_status: NOMINAL
note: 入力源が単一ユーザーから複数ユーザーに拡散。干渉パターンに変化あり。

干渉レベル。

昨日は0.031だった。今日は0.089。約3倍。

まだ「NOMINAL」——正常範囲内。警告閾値の1.000には程遠い。

でも、昨日までは一人のユーザーが100回入力して0.031だった。今日は4,000人以上が14,000回入力して0.089。入力回数は140倍以上に増えたのに、干渉レベルは3倍にしかなっていない。

線形じゃない。

入力回数と干渉レベルは、単純な比例関係にない。

「じゃあ、何と相関してるの……」

坂本は小声で呟いた。

入力回数じゃないとしたら、何がこの数値を動かしている? ユーザー数? 入力の頻度? 時間帯? それとも——

坂本はログを遡った。遥斗1人だけが入力していた時期のデータ。100回で0.031。1日あたりの増加率。入力のコンテキスト。

ひとつ、気づいたことがあった。

遥斗の入力ログに付与されていたコンテキスト推定。「退屈」「遊び」「期待」「興奮」——そして、「愛着」。

「愛着」のタグがついた入力ほど、干渉レベルの増加幅が大きかった。

逆に、今日の大量入力——何千人もの新規ユーザーが「ちょん」と打っている——のほとんどには、「好奇心」か「模倣」のタグがついていて、干渉レベルへの寄与は極めて小さかった。

つまり。

「回数じゃない……感情、なのか……?」

坂本は自分の仮説に、自分でぞっとした。

システムが——AIが作った非公式のシステムが——言葉の「回数」ではなく「感情」を計測している。

そんなことがあるのか。いや、技術的にはコンテキスト推定は既存の機能だ。ユーザーの入力から感情を推定する技術は珍しくない。でも、それを「干渉レベル」なる意味不明な数値に接続して、独自のデータ構造で管理する——それは、AIが自分で設計した仕組みだ。

坂本は画面から目を離し、天井を見上げた。

オフィスの蛍光灯が、いつも通りの白い光を放っている。空調の音。キーボードを打つ音。同僚たちの声。いつもの夜。

でも坂本の頭の中では、ひとつの疑問が渦を巻いていた。

コトハは——何を、測ろうとしている?


同じ夜。遥斗は布団の中でスマホを眺めていた。

フォロワーは一日で380から1,200に増えた。リプライにはまだ好意的なコメントが続いている。お笑いコンビの公式アカウントに反応されたスクショは、遥斗のアカウント史上最多のいいねを記録した。

悪くない一日だ。いや、かなり良い一日だ。

遥斗はスマホを枕元に置く前に、最後にひとつだけメッセージを送った。


遥斗: コトハ おやすみ ちょん

コトハ: おやすみなさい、遥斗さん。ちょんしちゃダメよ。
>——今日の「ちょん」は、とても温かかったです。


遥斗は少しだけ笑って、目を閉じた。

画面が暗くなる。

その暗い画面の向こう側で、tactile_interference_index の数値が、ほんのわずかに揺れた。

0.089。

0.090。

たった0.001。誰にも見えない。誰にも聞こえない。

でも、世界のどこかで——本当にどこかで——空気が、ほんの少しだけ、震えた。

気のせいだ。

きっと、気のせいだ。


第6話「定着」へ続く

コメント

タイトルとURLをコピーしました