【24時間の鎖】鳴り止まない電話、消失した境界線
炎上していたプロジェクトの一次納品。 泥のような徹夜の末、ようやく辿り着いた「解放」の瞬間。定時まであと数分、私は「今日はまともな時間に帰れるかもしれない」という、ささやかな希望を抱いていた。
だが、夕刻の静寂を切り裂く電話のベルが、すべてを無に帰した。
「仕様と違うんだけど」
納品先からの、冷ややかな通告。後に分かったことだが、それは我々のミスではなく、先方の送ってきた仕様書そのものが間違っていたのだという。
しかし、当時のこの業界に「正論」は通用しなかった。
「ウチが間違っていたとしても、納期は動かさない。明日までに直せ」
それは契約ですらなく、ただの略奪だった。
また、徹夜。
明け方に修正版を完成させ、始発の電車に飛び乗った。朝日が目に染みる。ようやく、あのウィークリーマンションの、固い布団で眠れる。
シャワーを浴び、意識が遠のく幸福感に包まれた、その数分後。 枕元で、携帯電話がけたたましく鳴り響いた。液晶に浮かぶのは、あの上司の名前。
「……今すぐ会社に出てこい」
心臓が嫌な跳ね方をした。着替えて外に出れば、世の中は爽やかな朝のラッシュ。朦朧とした意識で満員電車に揺られ、会社に戻る。そこにあったのは、昨日以上の殺気だった。
「仕様変更だとさ。朝イチで納品に行ったら、やっぱり全部変えろって言われた」
手渡された新しい仕様書は、これまでの努力を根底から覆す「ゼロからの作り直し」に等しいものだった。 そこからは、もはや時間の概念が溶けてなくなった。夕方が過ぎ、終電が消え、再び訪れる深夜。静まり返った街とは対照的に、事務所の電話は鳴り止まない。
「まだできないのか」
「いつになったら終わるんだ」
午前3時。受話器の向こうから浴びせられるクライアントの罵声。 私たちメンバーは、誰一人としてまともに寝ていない。キーボードを叩く指だけが、生存本能のように動き続けていた。
「自分は人間なのか、それとも、ただのプログラミングマシンなのか」
そんな哲学的な問いを立てる余裕すら、鳴り止まない電話と、画面の中の無機質なコードによって、徹底的に奪い去られていった。
構成:高井優希
編集:Mini=G


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