きみの正解は、春の色
Your Answer is the Color of Spring窓を開けてはいけない午後
春になると、蒼介は少し落ち着かなくなる。
それは恋のせいでも、季節のせいでもなく――たぶん、この時期になると、職場の窓の外に見える桜が咲いて、なんとなく「いいことをしなければ」という気持ちがむくむくと膨らんでくるからだと思う。
蒼介は企画部に所属する二十六歳で、自他ともに認める「提案屋」だった。何かあれば解決策を出す。チームが停滞すれば打開策を出す。上司から「頭が切れる」と言われるたびに、それを誇りに思いながら、同時にどこかで「もっと上手くやれるはずだ」と自分を追い立てていた。
その日も、そうだった。
隣のデスクに座る日向が、午後三時を過ぎたあたりからため息をつきはじめた。
日向は同期入社で、蒼介より少しだけ仕事のペースがゆっくりしているが、その代わり出来上がったものの精度がとても高い。蒼介が「速さ」で仕事をするとすれば、日向は「深さ」で仕事をするタイプだった。
ため息の回数が三回を超えたあたりで、蒼介はモニターから目を離した。
「行き詰まってる?」
「……まあ、そんなとこ。このコピー、なんか違うんだよね。何が違うのかもわからないんだけど」
日向は画面を見つめたまま、ペンをくるくると回している。その横顔に、午後の光が薄く落ちていた。
蒼介は少し考えた。こういうとき、どうするのがベストか。気分転換。そうだ、空気だ。
「仕事に行き詰まってるなら、少し窓を開けて空気を入れ替えてみない?」
我ながら、いい提案だと思った。新鮮な空気、春の風、リフレッシュ。完璧だ。
だが次の瞬間、日向はゆっくりと蒼介のほうを向いて、至極冷静な顔でこう言った。
「ダメだよ。窓なんか開けたら、今の時期は花粉がすごいから、花粉症の私は死にそうになるよ」
そう言った後、一拍置いて、くすりと笑った。
蒼介は固まった。
花粉。そうだ、日向は花粉症だった。毎年この時期になると、目が赤くなって、ティッシュを山積みにしている。それでも日向は、「春はすきだよ」と言って笑う。
「そっか……ごめん、完全に忘れていたよ。窓を開けるなんて、花粉症の人にとっては地獄だよね」
リフレッシュを提案したつもりだったが、ダメージを与えてしまっては……本末転倒だ。
日向は、蒼介の言葉を聞いて、今度はもう少し大きく笑った。
「理屈はいいから、まずこの花粉をなんとかしてくれー」
笑っている。怒っていない。それが、なぜか蒼介には少しだけ引っかかった。
自分の提案は失敗だった。でも日向は笑っている。「間違いだったね」とは言わずに、ただ笑っている。
――これは、どういうことだろう。
結局その日の残りの時間、蒼介はそわそわしながら仕事を続けた。
日向のコピーについては結局、夕方になって日向が自分で「あ、わかった」と呟いて、三十分後には完成させていた。蒼介が何かをしたわけではない。日向が自分で辿り着いたのだ。
帰り際、日向はマスクを二重にしてコートを羽織りながら、「おつかれ」と手を振った。
蒼介も手を振り返して、その後ろ姿を見送りながら、ぼんやりと思った。
自分が「ベストな提案」だと思っていたことが、日向にとってはまったく意味をなさなかった。それどころか、害になるところだった。
――「正解」というのは、いったい誰にとっての正解なんだろう。
春の夕暮れが、オフィスの窓ガラスをうっすらとオレンジに染めていた。
― 第一話 了 ―
次回「第二話:空気ではなく、温度のこと」

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