モノクローム・ハイウェイ[第4話]

アイキャッチ[モノクローム・ハイウェイ]

幻の背中

心臓の音が、やけにうるさく感じる。
私は、一歩を踏み出すのを躊躇った。もし近づいて、その姿が蜃気楼のように消えてしまったら。あるいは、振り向いた顔が私の知らない誰かだったら。そんな恐怖が、足を重く縛り付けていた。

けれど、潮風に乗って届いた「匂い」が、私の背中を押した。
それは、微かなタバコの煙と、柑橘系の整髪料。そして、いつも父の衣類から漂っていた、日向のような温かい匂い。

「……親父」

掠れた声で呼ぶと、手すりに置いていた男の手がピクリと動いた。
男はゆっくりと、時間を巻き戻すようにこちらを振り向いた。

そこにいたのは、死の直前、病室の白いシーツに埋もれていた痩せ細った父ではなかった。
日焼けした逞しい腕。少しだけ無精髭の生えた、精悍な顎のライン。そして、悪戯が成功したこどものような、あの独特な目尻の皺。

三十代半ばくらい。ちょうど、今の私と同じくらいの年齢の父だった。

「遅かったな。待ちくたびれたぞ」

父は、ごく当たり前のようにそう言った。
その声は、色を失ったモノクロの世界の中で、鮮やかな色彩を持って響いた。まるで彼だけが、この世界の時間の外側に立っているかのようだ。

私は言葉を返そうとしたが、喉の奥が熱く、固まってしまって動かない。
ただ、こどもの頃のように呆然と、自分より背の高かった(はずの)父を見上げることしかできないでいる。

父は、私の動揺を気にする風でもなく、こちらに向かって歩きながら、私の背後にある最新型の愛車へと視線を移した。

「ほう……いい車に乗ってるじゃないか。これがお前の相棒か?」

「……ああ。親父の乗ってたやつの、ずっと後のモデルだよ」

ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほどこどもっぽく響いた。
父は私の車に近づき、その滑らかなボディラインを、慈しむように指でなぞる。

「そうか、こんなにカッコよくなったのか。俺たちの時代じゃ、想像もつかないくらい先へ行ったんだな」

そう言って笑う父の顔には、嫉妬など微塵もなく、ただただ息子が選んだものを誇らしく思うような、深い愛情が溢れている。

ふと気づけば、父の着ているチェックのシャツも、履き古したジーンズも、そして彼が背負っている空気そのものも、私の車と同じように鮮やかな色彩を放っている。

モノクロームの静寂な世界。
そこには、かつての父と、今の私。
そして、かつての憧れと、今の現実。

二つの時間が、一本のハイウェイのように重なり合い、火花を散らしているようだった。

「親父、ここは一体どこなんだ? どうして……」

問いかけようとした私の言葉を、父は軽く手を上げて遮る。
彼は、自分の車の元へ行くと、運転席のドアを開けてから、私を振り返って言った。

「理由は後でいい。せっかくいい車を持ってきたんだ。少し、一緒に走らないか?」

その誘いは、かつての休日、まだ眠い目を擦っていた私に父が投げかけた、あの魔法の言葉と全く同じだった。

原案:ALUM
構成:高井優希
編集:ALUM

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