きみの正解は、春の色[第3話]

― 連作短篇 ―

きみの正解は、春の色

Your Answer is the Color of Spring
― 第 三 話 ―

提案しない、という提案

― 前話より ―

「理屈じゃなくて」という日向の言葉が、蒼介の胸に小さな棘のように刺さった。その日の午後、蒼介は初めて、名乗らずに誰かのために何かをした。温かいほうじ茶を、そっとデスクに置いて。

月がかわっても、蒼介の「提案癖」はなかなか抜けなかった。

それは職業病に近いものだと自分では思っている。何かを見れば「改善できないか」と考える。誰かが困っていれば「解決策はないか」と探す。それ自体は悪いことではないし、仕事においては確かに役に立ってきた。

ただ――日向に対してそれをすると、なぜかいつも、少しだけずれる。

先週も、日向が「このプレゼンの構成、なんかしっくりこないんだよね」と呟いたとき、蒼介はすぐさま「冒頭に数字を持ってきて、課題提起を先行させてはどうですか」と答えた。

日向は「うーん……」と言って、少し考えて、「ありがとう」とは言ったけれど、結局自分でまったく別の方向に構成を組み直していた。蒼介のアドバイスは、使われなかった。

それが何度か続いたある日、蒼介はこっそり、自分の手帳に書き留めた。

「日向への提案 採用率:ほぼゼロ」

― 蒼介、心の中 ―

これは由々しき事態だ。私の提案力に問題があるのか、それとも……日向という人間を、私はまだぜんぜん理解できていないのか。

冷静に考えれば、後者だった。

日向は「答えを出してもらいたい」タイプではないのだ。たぶん、ひとりで考えながらぐるぐるしている時間そのものが、日向にとっては必要なプロセスで。蒼介がそこに「正解」を差し込んでも、それは日向のプロセスを奪うことにしかならない。

――では、自分にできることは何だろう。

その日の午後、また日向がため息をついた。

画面を見つめて、ペンをくるくる回して、眉間にうっすら皺を寄せている。以前と、まったく同じ光景だった。

蒼介は、何かを言いかけて、止まった。

提案しない。

今日は、それを試してみようと思った。

ただ、何も言わないのも不自然だ。完全な沈黙は、それはそれで別の種類の気まずさを生む。蒼介は少し考えて、それからごく自然に、こう言った。

蒼介

「……行き詰まってます?」

日向

「うん。なんか、このキャッチコピー、言葉は合ってるのに温度が違う感じがして」

「温度が違う」。

蒼介はその言葉を聞いて、思わず少し前のめりになった。温度。先週の昼食のとき、日向が言っていた言葉と同じだ。「理屈じゃなくて、気持ちの話」。日向はいつも、温度で物事を測っている。

蒼介

「……温度、ですか」

日向

「そう。言いたいことは伝わるんだけど、なんか……冷たいんだよね、この言葉。もっとあったかい感じにしたいのに、どうすればいいのかわからなくて」

蒼介の頭の中に、いくつかの案がぱっと浮かんだ。体言止めをやめて語尾をやわらかくする。句読点の位置を変える。カタカナをひらがなに。

でも、全部、言わなかった。

蒼介

「……その、『あったかい感じ』って、どんなイメージですか」

日向は少し驚いたように蒼介を見た。

日向

「え、解決策じゃなくて、聞いてくれるの?」

蒼介

「……今日は、そういうモードで」

その言葉に、日向は、ふっと表情をほぐした。

日向

「なんか、手書きの手紙みたいな感じ、かな。印刷じゃなくて、ちゃんと誰かが書いてくれた、って伝わる感じ」

蒼介は、それを聞いて、黙って頷いた。

解決策は出さなかった。ただ、「なるほど」と思った。日向が言葉に何を求めているか、初めてすこしだけ、輪郭が見えた気がした。

三十分後、日向が「あ、できた」と言った。

画面を覗き込んだ蒼介には、そのコピーの何が変わったのかは正直よくわからなかった。でも日向の顔が、さっきより明らかに晴れていた。

日向

「さっき、聞いてくれてありがとう。なんか、しゃべってたら自分でわかった」

蒼介

「……私は何もしていないですよ」

日向

「してるよ。聞いてくれてたじゃん」

それだけ言って、日向はまた画面に向き直った。

蒼介は、しばらくその言葉を頭の中で転がした。

聞いてくれてたじゃん。

提案しない、ということが、提案することと同じくらい――あるいはそれ以上に、誰かの役に立つことがある。それを、蒼介は今日初めて、全身で理解した。

― 蒼介、心の中 ―

……「正解を出すこと」だけが、相談じゃないのかもしれない。

窓の外では、桜がそろそろ散りはじめていた。

花びらが一枚、風に運ばれてガラスに触れて、すうっと落ちていった。蒼介はそれを見て、なんとなく、日向の言っていた「手書きの手紙」という言葉を思い出した。

印刷じゃなくて、ちゃんと誰かが書いてくれた、って伝わる感じ。

――それは、言葉だけの話じゃないかもしれない、と思った。

― 第三話 了 ―

次回「第四話:きみが見ている、春の色」

紡 -Tsumu-

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