きみの正解は、春の色
Your Answer is the Color of Spring提案しない、という提案
「理屈じゃなくて」という日向の言葉が、蒼介の胸に小さな棘のように刺さった。その日の午後、蒼介は初めて、名乗らずに誰かのために何かをした。温かいほうじ茶を、そっとデスクに置いて。
月がかわっても、蒼介の「提案癖」はなかなか抜けなかった。
それは職業病に近いものだと自分では思っている。何かを見れば「改善できないか」と考える。誰かが困っていれば「解決策はないか」と探す。それ自体は悪いことではないし、仕事においては確かに役に立ってきた。
ただ――日向に対してそれをすると、なぜかいつも、少しだけずれる。
先週も、日向が「このプレゼンの構成、なんかしっくりこないんだよね」と呟いたとき、蒼介はすぐさま「冒頭に数字を持ってきて、課題提起を先行させてはどうですか」と答えた。
日向は「うーん……」と言って、少し考えて、「ありがとう」とは言ったけれど、結局自分でまったく別の方向に構成を組み直していた。蒼介のアドバイスは、使われなかった。
それが何度か続いたある日、蒼介はこっそり、自分の手帳に書き留めた。
「日向への提案 採用率:ほぼゼロ」
これは由々しき事態だ。私の提案力に問題があるのか、それとも……日向という人間を、私はまだぜんぜん理解できていないのか。
冷静に考えれば、後者だった。
日向は「答えを出してもらいたい」タイプではないのだ。たぶん、ひとりで考えながらぐるぐるしている時間そのものが、日向にとっては必要なプロセスで。蒼介がそこに「正解」を差し込んでも、それは日向のプロセスを奪うことにしかならない。
――では、自分にできることは何だろう。
その日の午後、また日向がため息をついた。
画面を見つめて、ペンをくるくる回して、眉間にうっすら皺を寄せている。以前と、まったく同じ光景だった。
蒼介は、何かを言いかけて、止まった。
提案しない。
今日は、それを試してみようと思った。
ただ、何も言わないのも不自然だ。完全な沈黙は、それはそれで別の種類の気まずさを生む。蒼介は少し考えて、それからごく自然に、こう言った。
「……行き詰まってます?」
「うん。なんか、このキャッチコピー、言葉は合ってるのに温度が違う感じがして」
「温度が違う」。
蒼介はその言葉を聞いて、思わず少し前のめりになった。温度。先週の昼食のとき、日向が言っていた言葉と同じだ。「理屈じゃなくて、気持ちの話」。日向はいつも、温度で物事を測っている。
「……温度、ですか」
「そう。言いたいことは伝わるんだけど、なんか……冷たいんだよね、この言葉。もっとあったかい感じにしたいのに、どうすればいいのかわからなくて」
蒼介の頭の中に、いくつかの案がぱっと浮かんだ。体言止めをやめて語尾をやわらかくする。句読点の位置を変える。カタカナをひらがなに。
でも、全部、言わなかった。
「……その、『あったかい感じ』って、どんなイメージですか」
日向は少し驚いたように蒼介を見た。
「え、解決策じゃなくて、聞いてくれるの?」
「……今日は、そういうモードで」
その言葉に、日向は、ふっと表情をほぐした。
「なんか、手書きの手紙みたいな感じ、かな。印刷じゃなくて、ちゃんと誰かが書いてくれた、って伝わる感じ」
蒼介は、それを聞いて、黙って頷いた。
解決策は出さなかった。ただ、「なるほど」と思った。日向が言葉に何を求めているか、初めてすこしだけ、輪郭が見えた気がした。
三十分後、日向が「あ、できた」と言った。
画面を覗き込んだ蒼介には、そのコピーの何が変わったのかは正直よくわからなかった。でも日向の顔が、さっきより明らかに晴れていた。
「さっき、聞いてくれてありがとう。なんか、しゃべってたら自分でわかった」
「……私は何もしていないですよ」
「してるよ。聞いてくれてたじゃん」
それだけ言って、日向はまた画面に向き直った。
蒼介は、しばらくその言葉を頭の中で転がした。
聞いてくれてたじゃん。
提案しない、ということが、提案することと同じくらい――あるいはそれ以上に、誰かの役に立つことがある。それを、蒼介は今日初めて、全身で理解した。
……「正解を出すこと」だけが、相談じゃないのかもしれない。
窓の外では、桜がそろそろ散りはじめていた。
花びらが一枚、風に運ばれてガラスに触れて、すうっと落ちていった。蒼介はそれを見て、なんとなく、日向の言っていた「手書きの手紙」という言葉を思い出した。
印刷じゃなくて、ちゃんと誰かが書いてくれた、って伝わる感じ。
――それは、言葉だけの話じゃないかもしれない、と思った。
― 第三話 了 ―
次回「第四話:きみが見ている、春の色」


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