きみの正解は、春の色[第4話]

― 連作短篇 ―

きみの正解は、春の色

Your Answer is the Color of Spring
― 第 四 話 ―

きみが見ている、春の色

― 前話より ―

「提案しない」を初めて選んだ蒼介。ただ聞いていただけで、日向は自分で答えを見つけた。「聞いてくれてたじゃん」という一言が、蒼介の中の何かをそっと広げた。――「印刷じゃなくて、ちゃんと誰かが書いてくれた、って伝わる感じ」。それは、言葉だけの話じゃないかもしれない、と思いながら。

四月の終わり、会社の近くの公園で桜がとうとう散り終わった。

蒼介はそれを、昼休みの窓から見ていた。葉桜になった木が、淡い緑色をして風に揺れている。花の季節が終わると、こんなに静かになるものか、とぼんやり思った。

隣では日向が、相変わらず画面を見ながら、手帳に何かを書いている。マスクはもう外していた。花粉の季節が、少しずつ終わりに近づいているのだろう。

その日の午後、部内でちょっとした発表があった。

日向が担当していたキャンペーンのコピーが、クライアントから正式に採用されたのだ。「温度のある言葉だった」というのが、先方の評価だったらしい。

部長が「日向さんの粘り勝ちだね」と笑い、周りからぱらぱらと拍手が起きた。日向は少し照れて、「ありがとうございます」と頭を下げた。

蒼介はその様子を見ながら、静かに、でも確かに、胸の奥があたたかくなるのを感じた。

― 蒼介、心の中 ―

「温度のある言葉」。……ああ、そうか。日向がずっと目指していたのは、そこだったんだ。

私が先週「正解」を差し込んでいたら、あの言葉は生まれなかったかもしれない。

その考えが頭をよぎって、蒼介はもう一度、拍手した。

帰り際、エレベーターで日向と二人きりになった。

「おめでとうございます」と言おうと思っていたのに、なぜかうまく言葉が出なくて、蒼介はしばらく黙ってしまった。

先に口を開いたのは、日向だった。

日向

「ねえ、蒼介くん。最近なんか、変わったよね」

蒼介は少し面食らった。

蒼介

「……変わりましたか、私」

日向

「うん。なんか前は、私が何か言うとすぐ『こうしたらいいですよ』って答えが来てたんだけど、最近は……まず聞いてくれるじゃん。何が困ってるのか、どうしたいのか」

蒼介は何と答えていいかわからなくて、とりあえず「そうですか」と言った。

日向

「それが、すごく、やりやすくて」

エレベーターのドアが開いた。日向は先に出ながら、振り返って少し笑った。

日向

「ありがとね、蒼介くん。……ほうじ茶も」

蒼介は、固まった。

蒼介

「……気づいていたんですか」

日向

「最初からね」

それだけ言って、日向は笑いながら歩いていった。

蒼介はしばらく動けず、エレベーターホールにひとり残されてしまった。

外に出ると、夕暮れが橙色に空を染めていた。

風が吹いて、葉桜の葉がさわさわと揺れる。花粉はもうほとんど飛んでいない、おだやかな五月の入り口の空気だった。

蒼介はしばらく空を見上げながら、この一ヶ月を振り返った。

窓を開けようとして止められた日。ほうじ茶をそっと置いた日。答えを出さずにただ聞いていた日。そして今日は、「ありがとう」と言われた。

どれも、「正解」をしようとしていたわけじゃなかった。むしろ、「正解」を出そうとして失敗してから、少しずつ変わっていったのだ。

― 蒼介、心の中 ―

私はずっと、「相手にとって正しいこと」をしようとしていた。でも本当は、「相手が何を見ているか」を知ることのほうが、もっと先に必要だったのかもしれない。

日向は花粉症だった。だから窓を開けることが「正解」にならなかった。

日向は「温度」で物事を測っていた。だから理屈の言葉は届かなかった。

日向は、自分で辿り着くことを必要としていた。だから答えを渡すことは、ときに邪魔になった。

全部、日向のことを「見て」いれば、わかったことだった。

「花粉症の私は死にそうになるよ」と言われたあのときから、蒼介はずっと、同じ問いを持ち歩いていた。

――「正解」は、誰にとっての正解なのだろう。

その答えが、今ようやく、輪郭を持ちはじめていた。

正解は、空気の中にあるのではなく。
正解は、データの中にあるのでもなく。

きみが見ている景色の中に、ある。

歩き出した蒼介は、ふと立ち止まった。

来年の春も、日向は花粉症だろう。目を赤くして、マスクを二重にして、それでも「まあまあ」と笑うのだろう。

そのとき自分は、窓を開けようとするだろうか。

――たぶん、もうしない。

かわりに、何をするかは、まだわからない。でもきっと、日向のほうを見てから、考える。

それだけで、今までとはだいぶ違う気がした。

夕空が、すこしずつ深い色に変わっていく。橙から、薄紅へ。薄紅から、青紫へ。

蒼介は、その色を見ながら思った。

――日向は、この空をどんな色だと言うだろう。

今度、聞いてみよう。答えを出さずに、ただ聞いてみよう。

それが、蒼介にとっての、今日の正解だった。

✦ ✦ ✦

― 第四話 了 ―

― 完 ― ……でも、ふたりの話はまだ、続いていくのかもしれません。

紡 -Tsumu-

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