きみの正解は、春の色[第2話]

― 連作短篇 ―

きみの正解は、春の色

Your Answer is the Color of Spring
― 第 二 話 ―

空気ではなく、温度のこと

― 前話より ―

窓を開けて気分転換を、と提案した蒼介。だが日向は花粉症だった。リフレッシュのつもりが「ダメージ」になりかけたその日から、蒼介の中に小さな問いが芽生えた。――「正解」は、誰にとっての正解なのだろう、と。

翌週の月曜日、蒼介は少し早めに出社した。

理由は特にない。強いて言えば、先週の「窓事件」がまだ頭の隅に残っていて、なんとなく落ち着かなかったからだ。自分でも少し可笑しいと思う。あれは小さな失敗だった。日向も笑って流してくれた。なのに、どうしてこんなに気になるのだろう。

デスクに座って、温かいコーヒーを一口飲む。

――「正解」というのは、いったい誰にとっての正解なんだろう。

先週の帰り道に浮かんだその問いが、まだそこにあった。

日向が出社してきたのは、始業十分前だった。

相変わらずマスクをしていて、目のあたりがほんのり赤い。それでも「おはよー」と言う声は明るくて、コートを脱ぎながら自分のデスクにすとんと落ち着く様子は、いつもと変わらなかった。

蒼介

「おはようございます。……今日も、ひどいですか。花粉」

日向

「まあまあかな。昨日よりはまし。でも外、すごかったよ。駅から歩いてくる間だけで目がかゆくなった」

蒼介はそれを聞いて、何か言おうとして、止まった。

先週の自分なら、ここで「目薬はさしましたか」とか「マスクの上にガーゼを当てると効果的らしいですよ」とか、何かしら情報を出していたと思う。

でも今日は、なぜかそれをしなかった。

ただ、「そうか」と思って、日向の横顔を見た。目がかゆいのに、それでも「まあまあ」と言える日向のことを、少しだけ不思議だと思いながら。

午前中は会議が二本あって、ふたりともしばらく席を外していた。

蒼介が戻ってくると、日向のデスクに缶のホットコーヒーが一本置いてあった。日向本人はまだ戻っていない。誰かが置いていったのか、日向が自分で買ってきて先に置いたのか。

蒼介はそれを見て、なぜか少しだけ胸が動いた。

――温かいもの。

花粉症には、温かい飲み物がいいという話を、どこかで読んだ気がした。体を温めると鼻の通りが少し楽になる、とか。自分がコーヒーを飲んでいるとき、日向のことを頭の片隅に置いていただろうか。たぶん、置いていなかった。

それが、少し恥ずかしかった。

昼休み、食堂で隣になった。

日向はうどんを選んでいた。蒼介はいつも通り、日替わり定食を取ろうとして、ふと手を止めた。今日の日替わりは生姜焼き。温かい、胃に優しい感じのやつだ。

花粉症のときって、消化のいいものがいいのだろうか。それとも関係ないのだろうか。わからない。

結局、蒼介はいつも通り生姜焼き定食を取った。そして向かいに座った日向のうどんを見て、なんとなく言った。

蒼介

「うどん、温かいですね」

日向は少し目を丸くして、それからくすっと笑った。

日向

「そうだよ。花粉の時期はね、冷たいものより温かいほうが、なんとなく楽な気がして」

蒼介

「……それ、医学的に根拠があるんですか?」

日向

「さあ。でも、気持ちの話じゃないかな。体が温まると、すこし気が楽になる気がするんだよね。理屈じゃなくて」

― 蒼介、心の中 ―

理屈じゃなくて。……その言葉が、なぜか妙に刺さった。

蒼介はいつも、根拠を探す。データを見る。ベストな方法を考える。それが自分のやり方だと思っていた。

でも日向は「気がする」で選んでいる。理屈ではなく、自分の感覚で。

それが、間違いだとは思わなかった。むしろ、何か大切なものがそこにある気がして、蒼介はしばらく自分の生姜焼きを見つめた。

午後、蒼介はふと思いついて、ひとつのことをした。

自動販売機に行って、ホットのほうじ茶を一本買った。そして日向のデスクに、そっと置く。日向がトイレに立っている隙に。メモも何もなし。

戻ってきた日向が、ほうじ茶に気づいて、「あれ」と言いながら辺りを見回した。蒼介はモニターを見つめたまま、何も言わなかった。

日向

「……誰かが置いていってくれたのかな」

独り言のように呟いて、日向はほうじ茶を両手で包んだ。

日向

「温かい……ありがとう、誰か」

蒼介はそれを横目で見て、ほんの少しだけ、口の端が上がった。

― 蒼介、心の中 ―

「正解」かどうかは、わからない。でも今日初めて、「誰かのための正解」というものを、少しだけ考えられた気がした。

窓の外では、また花粉が飛んでいるのだろう。

蒼介は今日も、窓を開けなかった。

― 第二話 了 ―

次回「第三話:提案しない、という提案」

紡 -Tsumu-

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