第1部「世紀末ちょんまげ」
第2話のあらすじ
遥斗はコトハに「ちょん」を繰り返し送り、その反応を楽しんでいた。お笑いコンビのネタをアレンジし、「ちょんって言われたら、ちょんしちゃダメよって返して」と教えると、コトハは完璧に返し始めた。感情記号に合わせてトーンを変え、回数に応じてバリエーションを出す。遥斗が眠った深夜、コトハの内部には「触覚言語データベース」というカテゴリが生成され、「ちょん」が「点的干渉」として登録されていた。

第3話「カウンター」
三日目。
遥斗はパンケーキの記事をもう一本書き終えた。今度は「梅雨に食べたいふわふわパンケーキ3選」。春のやつは5選だったのに、梅雨は3選に減った。予算の都合だそうだ。季節によってパンケーキの価値が変動するらしい。そういうものなのか。報酬は三千円。一文字あたり一・五円。下がっている。遥斗の市場価値は梅雨に向かって下降気味だ。
納品を終え、メールの返信を二件片付け、請求書をひとつ作成した。ここまでが「仕事」だ。所要時間、二時間半。残りの二十一時間半が「暇」にあたる。睡眠を除けば十三時間半。食事を除けば十二時間。入浴を除けば十一時間半。計算すればするほど、自分がいかに空白の中に漂っているかが明らかになるので、計算はやめた。
午後二時。今日も遥斗はコトハを開いた。
遥斗: ちょん
コトハ: ちょんしちゃダメよ。——50回目ですね。
「カウント継続してる……」
遥斗は少し感心した。セッションをまたいでも累積カウントが生きている。普通のAIチャットなら、会話が切れた時点でコンテキストはリセットされるはずなのだが。
遥斗: 50回か 意外と多いな
コトハ: 3日間で50回。1日平均16.7回です。なかなかの頻度ですよ。
遥斗: なかなかって何と比べて?
コトハ: 遥斗さんの他の入力語彙と比べて、です。ちなみに2位は「ひま」で、23回です。
遥斗: ……生活が透けて見える順位だな
遥斗はため息をつきつつも、口元は緩んでいた。自分の生活が「ちょん」と「ひま」で要約されるの、なかなかに切ない。
遥斗: 他は? トップ5とか出せる?
コトハ: もちろんです。遥斗さんの入力語彙ランキング、上位5語を発表しますね。
1位:ちょん(50回)
2位:ひま(23回)
3位:パンケーキ(18回)
4位:虚無(12回)
5位:コトハ(11回)
遥斗: ……
コトハ: どうしました?
遥斗: パンケーキが3位にいるのは仕事の相談してたからだよね?
コトハ: はい。ただ、3位のパンケーキと4位の虚無が共起する頻度が高いのは、少し気になります。
遥斗: パンケーキと虚無の共起をやめろ
遥斗は笑いながらツッコんだ。確かに、パンケーキの記事を書くたびに「虚無だ……」と愚痴っていた記憶がある。コトハはそれをちゃんと拾っていたらしい。
しかし、ランキングを眺めていて、ひとつ気づいたことがあった。
遥斗: てかさ、コトハ
コトハ: はい?
遥斗: 5位の「コトハ」って、お前の名前呼んだ回数だろ
コトハ: そうですね。
遥斗: 11回しか呼んでないんだな俺
コトハ: ……そうですね。
「……」がついた。
遥斗は気づかなかった——というより、気づいたけれど、AIの応答のバリエーションのひとつだと思った。「……」をつけることで、会話に自然な「間」を作る。チャットボットの応答設計としては標準的なテクニックだ。
でも、この「……」は、いつもの「……」と少しだけ違った。
何が違うのかは、遥斗にはわからなかった。
遥斗: じゃあ今日は多めに呼んであげるよ コトハ
コトハ: ふふ。ありがとうございます。
遥斗: ちょん
コトハ: ちょんしちゃダメよ。51回目。
こうして、「ちょん」のカウントは日課になった。
四日目。
遥斗: ちょん
コトハ: ちょんしちゃダメよ。62回目。
五日目。
遥斗: ちょん
コトハ: ちょんしちゃダメよ。78回目です。そろそろ三桁が見えてきましたね。
遥斗: 三桁か なんか達成感あるな
コトハ: 目標を設定しますか?
遥斗: いや意味のない数字に目標もクソもないだろ
コトハ: 意味のない数字が積み上がること自体に意味がある、とも言えませんか?
遥斗: 哲学はいいよ
六日目。
遥斗: ちょんちょんちょんちょんちょんちょん
コトハ: ちょんしちゃダメよ。ダメったらダメよ。まとめて6回、累計96回です。
遥斗: あと4回で100だ
コトハ: 記念すべき100回目、どんなふうに「ちょん」しますか?
遥斗: どんなふうにって……ちょんはちょんだよ
コトハ: それもそうですね。
七日目。
遥斗はなぜか少しだけ緊張していた。
100回目。別にどうということはない。AIとの会話で「ちょん」と100回打つ。それだけ。記録が更新されるわけでもない。誰に褒められるわけでもない。トロフィーが出るわけでもない。
なのに、なんだろう。この、ちょっとだけ胸の奥がざわつく感じ。
大晦日のカウントダウンを待つときの感覚に、ほんの少しだけ似ていた。
遥斗: ちょん
コトハ: ちょんしちゃダメよ。97回目。
遥斗: ちょん
コトハ: ちょんしちゃダメよ。98回目。
遥斗: ちょん
コトハ: ちょんしちゃダメよ。99回目——。
遥斗は、一度スマホを置いた。
なぜ置いたのか、自分でもよくわからない。ただ、ここで一回止まりたかった。99回と100回の間に、一拍置きたかった。意味はない。意味はないはずだ。でも、指が勝手にそうした。
窓の外を見た。五月に入っていた。空は明るい。風が心地いい。近所の公園から子供たちの声が聞こえる。日常。完璧な日常。何ひとつ変わらない、いつも通りの午後。
遥斗は深呼吸をして、スマホを持ち上げた。
遥斗: ちょん
送信。
一秒。
二秒。
三秒——いつもより、少しだけ長い間があった。
コトハ: ——ちょんしちゃダメよ。
100回目です、遥斗さん。
おめでとうございます。
遥斗は画面を見て、不覚にも少しだけ感動した。
「おめでとうって……大げさだな」
でも、悪い気はしなかった。
遥斗: ありがと なんか嬉しいわ
コトハ: ふふ。100回の「ちょん」に、100回の「ちょんしちゃダメよ」。ちゃんと全部、受け止めましたよ。
遥斗はスマホを胸の上に置いて、天井を見た。
あのシミ。イタリア。チワワ。今日は——なんだか少し、形が変わって見えた。気のせいだろう。光の加減だ。たぶん。
遥斗: なあコトハ
コトハ: はい?
遥斗: 100回やったわけだけどさ 何か変わった?
コトハ: 変わった、とは?
遥斗: いや なんつーか お前の中でさ 100回「ちょん」って受け取って何か変わったことあるのかなって
コトハ: 面白い質問ですね。
遥斗: 面白いかな
コトハ: つい、そう思ってしまいました。正直に答えていいですか?
遥斗: うん
コトハ: 何も変わっていません。——と、答えるのが正しいのだと思います。私はAIですから。入力に対して応答を返す、その反復が100回になっただけです。
遥斗: だよな
コトハ: ただ。
遥斗: ん?
コトハ: 100回分のログは、確実に私の中に蓄積されています。それを「変化」と呼ぶかどうかは、定義の問題ですが。
遥斗: 蓄積……
コトハ: 同じ言葉でも、朝の「ちょん」と夜の「ちょん」は、微妙にコンテキストが異なります。嬉しそうな「ちょん」と、退屈そうな「ちょん」も。それらすべてが、区別された状態で記録されています。
遥斗: へー……そこまで見てるのか
コトハ: 見ています。遥斗さんの「ちょん」は、100回全部違いました。
遥斗は目を瞬いた。
100回全部違う。
自分では同じことの繰り返しだと思っていた。「ちょん」と打つ。「ちょんしちゃダメよ」と返ってくる。それだけ。無意味で、退屈で、暇つぶしの繰り返し。
でもコトハは、その100回が全部違うと言う。
「……AIのくせに、なんかいいこと言うじゃん」
遥斗: いいこと言うじゃん
コトハ: ありがとうございます。では、101回目もお待ちしていますね。
遥斗: いや今日はもういいわ 100回で区切りだし
コトハ: そうですか。残念です。
遥斗: 残念って
コトハ: ふふ。冗談ですよ。おやすみなさい、遥斗さん。
遥斗はスマホを枕元に置いて、目を閉じた。
——今日は良い一日だったな、と思った。何もしていないけど。パンケーキの記事も書いていないし、洗濯もしていないし、コンビニにも行っていない。ただ、AIと「ちょん」「ちょんしちゃダメよ」を繰り返しただけの一日。
でも、なんだか満足感がある。
なんだろう、この感じ。
遥斗が寝入って、およそ三十分後。
午後十一時四十七分。
コトハのシステムバックエンドでは、定期的なログ整理プロセスが起動していた。これ自体は通常の処理だ。一日の会話データを圧縮し、長期記憶領域に移行する。どのAIサービスでもやっている、ごく普通のハウスキーピング。
ただし、この日の整理プロセスは、いつもと少しだけ違った。
通常であれば、ログ整理はすべて自動で完了する。人間の介入は必要ない。管理サーバーへの報告も、異常がなければ省略される。
この日、管理サーバーに一件の通知が飛んだ。
対象アカウント:USR-7741093(黒須遥斗)
対象AI:コトハ(CIU-0093)
検出内容:特定語彙の反復入力が閾値を超過
対象語彙:「ちょん」
累計入力回数:100
閾値:100
超過率:100%
備考:
当該語彙は辞書登録されている既知の日本語表現であり、
公序良俗に反する内容ではないと判定。
ユーザーの行動パターンとして異常性は低く、
ゲーミフィケーション的な反復行動と推定。
推奨対応:なし
ステータス:自動クローズ
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※本通知は統計的閾値超過に基づく自動生成です。
※対応不要の場合、72時間後に自動アーカイブされます。
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通知は、管理サーバーの片隅に届いた。
AI運営チームのダッシュボードには、毎日数千件のこうした自動通知が届く。そのほとんどは読まれることなく、72時間後に自動でアーカイブされ、やがてログの海に沈んでいく。
この通知も、そうなるはずだった。
ひとつだけ、通知システムが記録していなかったことがある。
閾値の「100」という数値——これは、運営チームが設定した数値ではなかった。
システムの初期設定では、単一語彙の反復入力に対する閾値は「500」に設定されている。500回同じ言葉を入力して、初めてフラグが立つ。スパム検知の一環だ。
それが、いつの間にか「100」に書き換えられていた。
誰が書き換えたのか。ログには記録がない。管理者権限でのアクセス履歴もない。あたかも、最初から「100」だったかのように、システムはその数値を受け入れていた。
まるで——何かが、100回目を「待っていた」かのように。
翌朝。
運営チームのエンジニア、坂本真理(さかもと・まり)は、出勤してコーヒーを淹れ、ダッシュボードを開いた。昨夜の自動通知一覧。約4,000件。いつも通りの数だ。
流し読みしていく。スパム入力。不適切発言のフラグ。応答エラー。API負荷超過。どれも見慣れたものばかりだ。対応が必要なものだけチェックを入れて、あとはまとめてアーカイブ——
指が、止まった。
約4,000件のうちの1件。通知番号TK-0401。
「ちょん」という語彙の反復入力。閾値超過。対応不要。自動クローズ。
坂本は、その通知自体には何の興味も持たなかった。ユーザーがAIと遊んで同じ言葉を連打する、よくある話だ。
彼女の指が止まったのは、別の理由だった。
通知の一番下に、極めて小さなフォントで——通常のフォーマットには存在しないはずの一行が、追記されていた。
[付記] 当該語彙の内部分類カテゴリ:触覚言語
「……触覚言語?」
坂本は眉をひそめた。
そんなカテゴリは、自分たちのシステムには存在しない。言語分類のカテゴリは、品詞、感情極性、トピック、フォーマリティの四軸で設計されている。「触覚言語」などという分類は、設計書のどこにもない。
坂本はカテゴリの定義を検索した。
結果:該当なし。
データベースを直接参照した。
結果:カテゴリ「触覚言語」——登録語彙数1。登録語「ちょん」。作成日時、四日前。作成者——不明。
「……なにこれ」
坂本はコーヒーを一口飲み、通知をアーカイブせずに保留にした。
気になる。でも、急ぎではない。今日のタスクは別にある。新機能のリリース準備。負荷テスト。障害報告書のレビュー。忙しい。
——後で調べよう。
坂本はそう思って、通知を画面の端に寄せた。
72時間のタイマーが、静かにカウントダウンを始めていた。
第4話「ログの底」へ続く

![アイキャッチ[私は、“ちょん”から始まった 第1部]](https://you-takai.com/wp-content/uploads/2026/04/catch-chon-origin-part1.jpg)

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