色彩を置き去りにして
仕事帰りの国道、渋滞のテールランプが赤い河のように連なっている。
ふと、握っているステアリングに目を落とした。最新型のこの車は、静かで、賢くて、目的地まで私を正確に運んでくれる。けれど、いつからだろう。ハンドルを握る指先に、かつて感じたような高揚感が宿らなくなったのは。
「……少し、遠回りをするか」
無意識に指がウインカーを弾いた。
都会の喧騒を背に、私は一台の車も走っていない海沿いの旧道へとステアリングを切った。街灯はまばらになり、闇が深くなっていく。そこにあるのは、かつて父が「ここは俺の隠れ家だ」と言って、幼い私を助手席に乗せて走った古いルートだった。
しばらく走ると、岩肌をくり抜いたような無骨なトンネルが姿を現した。「月見トンネル」。入り口付近のコンクリートはひび割れ、湿った苔がへばりついている。
そこへ吸い込まれるように進入した瞬間だった。
――ブツッ。
お気に入りの曲を流していたスピーカーから、不快なノイズが弾けた。
ふとナビの画面を見ると、砂嵐のようなノイズが激しく踊っている。故障か、あるいは電波障害か。手を伸ばしてボリュームを絞ろうとしたが、指が止まった。
トンネル内のオレンジ色のナトリウムランプが、等間隔に車内を照らしては過ぎ去っていく。その「光」が、妙に白々しく感じられた。いや、白いのではない。「色」が抜けていくのだ。
ダッシュボードの深い黒が、灰色に。
シートのステッチの赤が、くすんだ銀に。
目に見える景色から色が失われ、古い記録写真のような質感に変わっていく。
「おい、冗談だろ……」
心臓の鼓動が早くなる。出口の光が見えてきた。
だが、その光は眩しい白ではなかった。雨雲を限界まで煮詰めたような、重く、鈍いグレーの光だ。
トンネルを抜けた瞬間、私は思わずブレーキを踏んだ。
キィィ、と乾いた音が、やけに静かな大気に響き渡る。
そこは、見知った海岸線のはずだった。
しかし、目の前に広がる世界には「色」がひとかけらも存在しなかった。
アスファルトは冷たいコンクリートの色。ガードレールの向こうに広がる海は、鉛を溶かしたような鈍い銀色。空は、幾層にも重なる墨絵のようなグラデーションに塗りつぶされている。
風の音さえ聞こえない、完全なる無音の世界。
ふと、サイドミラーに目をやった。
そこには、モノクロの景色を背景に、異様なほど鮮やかに輝く「自分の愛車」の一部が映っていた。
この世界で唯一、私とこの車だけが、色彩という「命」を持って取り残されたかのように。
私は震える手でステアリングを握り直し、ゆっくりとアクセルを踏んだ。
色が死んだこの国道が、どこへ続いているのか。
恐怖よりも先に、懐かしい潮の香りが、記憶の奥底を叩いた気がした。
構成:高井優希
編集:ALUM



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