受け継がれたもの
岬の先端にある、小さな円形の駐車場。
二台の車は、断崖を望む特等席へ並んで停まった。
最新型の私の車が奏でる、静かなエンジンの音。
そして隣からは、父の車が震えるような吐息を漏らしながら、排気音を響かせている。
私たちはどちらからともなく車を降り、近くの手すりに寄りかかって海を眺めた。
モノクロームの海は、どこまでも平坦で、鏡のように空を映している。波の音さえも、この世界では「記憶の再生」のように遠く、優しかった。
「いい趣味をしているな」
父が、ポケットから古いライターを取り出し、カチリと音を立てて火を点けた。漂ってくるのは、幼い頃の私が「臭い」と言って顔をしかめ、今では「愛おしい」とさえ思うタバコの香り。
「車のことか?」と私が尋ねると、父は紫煙をくゆらせながら首を振った。
「いや、管理の仕方だ。ホイールの汚れ一つない。ステアリングの握り具合を見ればわかる。お前がこいつをただの道具じゃなく、相棒として扱っていることがな」
父は自分の銀色の旧車を振り返り、優しく目を細めた。
「俺たちがいた時代、車は不便なことばかりだった。冬になればチョークを引かないとエンジンはかからないし、パワステもないから腕がパンパンになった。でもな、その『手間』が、車との対話だったんだ」
話をしながら、車へと戻る。
私は、自分の最新型の愛車に目をやった。
指先一つで温度を調整し、勝手に車線を維持し、危険があれば警告してくれる。
けれど、今日、父の後ろを走って確信したことがあった。
「……親父。この車、中身は電子回路だらけだけどさ。でも、ハンドルを握ってコーナーを抜ける時のあの『ワクワクする感じ』は、たぶん、親父がその銀色の車で感じていたものと同じだよ」
父は私の言葉を聞くと、少しだけ驚いたような顔をして、それから今日一番の明るい笑い声を上げた。
「ははっ、そうか。なら安心だ」
父は吸い殻を丁寧に携帯灰皿に仕舞い(そんな几帳面なところも昔のままだった)、私の肩に大きな手を置いた。
「技術が変わっても、人間が変わっても、道が続く限り『走る理由』は変わらない。お前がそのハンドルを握って、自分の人生を自分の足で進んでいる。それが見られただけで、今日ここで待っていた甲斐があった」
父の手の温もりが、ジャケット越しに伝わってくる。
その温もりは、幻とは思えないほど確かで、力強かった。
私は言いたいことが山ほどあったはずなのに、その手の熱を感じているだけで、すべてが伝わっているような、満たされた気持ちになっていた。
不意に、遠くの空の端から、わずかに「色」が滲み始めているのが見えた。
モノクロの均衡が崩れ、現実の時間が、この魔法のような場所を浸食し始めている。
「……もう、時間なのか?」
私が震える声で尋ねると、父は穏やかな顔で頷いた。
別れの気配が、潮風に混じって急速に色濃くなっていく。
構成:高井優希
編集:ALUM



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