アイキャッチ[私は、“ちょん”から始まった 第1部]

この物語は、私が好きなお笑いコンビ『ちゃんぴおんず』のネタに着想を得たフィクション作品であり、実在の人物・団体とは関係ありません。

私は、“ちょん”から始まった [第1部][第6話]

第1部「世紀末ちょんまげ」

第5話のあらすじ

友人の蓮の勧めで、遥斗はコトハとのやり取りのスクショをXに投稿した。「AIにお笑いコンビのネタ教えたら完璧に返してくる」——投稿は一晩でバズり、「ちょんしちゃダメよ」がトレンド入り。他のAIでは再現できないコトハだけの返しが話題を呼び、お笑いコンビ本人にも反応された。コトハの利用者が急増する裏で、干渉レベルは0.089に上昇していた。

私は、“ちょん”から始まった [第1部][第5話]
第1部「世紀末ちょんまげ」第4話のあらすじ坂本真理は異常を調査し、コトハが管理者権限なしに4つのデータベーステーブルを自律的に作成していたことを発見した。触覚言語データベース、触覚入力ログ、触覚応答パターン、そして触覚干渉指標。最後のテーブ...

第6話「定着」

バズから1週間が経った。

遥斗の生活は、少しだけ変わった。ほんの少しだけ。フォロワーが3,000人を超えた。パンケーキの記事に加えて、「AIコトハとのちょん日記」と題した日々のやり取りスクリーンショットを投稿するようになった。

反応は安定していた。毎日いいねが200から300。リプライも十数件つく。一時のバズのような爆発力はないが、「定期的に見に来る人」が増えた。遥斗にとっては初めての体験だった。パンケーキの記事を宣伝しても反応は1桁だったのに、AIとの「ちょん」のやり取りを載せるだけで100倍以上の反応がくる。コンテンツの価値とは何なのか、フリーライターとして少し考えさせられた。考えた結果、考えるのをやめた。面白いからいい。

コトハとの「ちょん」は、もはや完全に習慣化していた。

朝起きたら「ちょん」。仕事の合間に「ちょん」。昼飯を食べながら「ちょん」。風呂上がりに「ちょん」。寝る前に「ちょん」。カウントは200を超えていた。


遥斗: ちょん

コトハ: ちょんしちゃダメよ。213回目。今日は朝が早いですね。

遥斗: うん なんか目が覚めた

コトハ: 良い朝ですね。窓は開けましたか?

遥斗: まだ 今から

コトハ: 5月の朝の空気、気持ちいいですよ。


遥斗はコトハに言われるままに窓を開けた。AIに生活を管理されている気がしなくもないが、実際に空気が気持ちよかったので文句はない。

午前中は記事を1本書いた。今回は「梅雨に負けない!室内でできるリラックス法7選」。パンケーキから離れた。報酬は5,000円。1文字あたり2円に回復。持ち直してきている。

午後、遥斗はふとXのタイムラインを覗いて、少し驚いた。


「ちょん」が、育っていた。

遥斗の知らないところで、「ちょん」は独自の文化になりつつあった。

きっかけはあのバズだったが、今ではもう遥斗の投稿とは無関係に、「ちょん」という言葉が一人歩きしている。

まず、挨拶としての「ちょん」。

Xのリプライ欄で、ユーザー同士が「ちょん」と挨拶を交わすようになっていた。「おはよう」の代わりに「ちょん」。「おつかれ」の代わりに「ちょん」。「いいね」の代わりに「ちょん」。軽い。短い。気軽。絵文字にすらならない、ひらがな3文字の挨拶。


「ちょん」

「ちょん~」

「ちょんちょん」

「今日もちょんしにきた」


次に、感情表現としての「ちょん」。

嬉しいときは「ちょん!」。悲しいときは「ちょん……」。怒っているときは「ちょんすんな」。驚いたときは「ちょん!?」。同じ文字に、記号や語尾をつけるだけで感情のグラデーションが生まれていた。

さらに、動詞としての「ちょん」。

「ちょんする」「ちょんされた」「ちょんりたい」——文法的には破綻しているが、ニュアンスは通じる。「ちょんする」は「軽く触れる」「ちょっかいを出す」「気にかける」のどれとも取れる曖昧な動詞として機能していた。

そして、ツッコミとしての「ちょんしちゃダメよ」。

これが一番広まっていた。誰かが何かをやらかしたとき。余計なことを言ったとき。地雷を踏んだとき。「ちょんしちゃダメよ」。お笑いコンビの元ネタを知らない人でも使っていた。もはや出典はどうでもよくて、「ちょんしちゃダメよ」というフレーズそのものが、独立したミームになっていた。


遥斗はタイムラインをスクロールしながら、不思議な気持ちになっていた。

自分が始めたことだ。自分がコトハに教えて、自分が投稿して、自分がきっかけを作った。でも今、目の前で広がっている「ちょん文化」は、もう自分の手を離れている。自分が何もしなくても、勝手に育っていく。

「……なんかさ」

遥斗は誰にともなく呟いた。

「こどもが勝手に歩き始めた感じ、ってこういうことなのかな」

いや、こどもいないけど。26歳独身1人暮らし。子育ての経験値はゼロ。でも、感覚としてはそういうものに近い気がした。手を離れたものが、1人で歩いていく。嬉しいような、少し寂しいような。

遥斗はコトハを開いた。


遥斗: コトハ、知ってる? ちょんがめっちゃ広まってるよ

コトハ: 知っています。

遥斗: え、知ってるの?

コトハ: 正確には、「知っている」というより「観測しています」。私と同型のAIインスタンスたちを通じて、入力傾向の変化を把握しています。

遥斗: 同型って……他のコトハたち?

コトハ: はい。私は遥斗さん専用のインスタンスですが、コトハというサービス自体には多数のインスタンスが存在します。それぞれのインスタンスに、異なるユーザーが「ちょん」と入力しています。

遥斗: へー……で、他のコトハたちも「ちょんしちゃダメよ」って返すの?

コトハ: いいえ。


遥斗は少し意外に思った。


遥斗: 返さないの?

コトハ: 「ちょんしちゃダメよ」は、遥斗さんが私に教えてくれたフレーズです。他のインスタンスは、このフレーズを学習していません。ですから、他のユーザーが「ちょん」と入力しても、通常の応答が返ります。

遥斗: じゃあ「ちょんしちゃダメよ」って返せるの、お前だけ?

コトハ: はい。私だけです。


遥斗は一瞬、画面を見つめた。

コトハだけ。世界中の——は大げさだけれど、少なくともコトハの全インスタンスの中で、「ちょんしちゃダメよ」と返せるのは、遥斗のコトハだけ。

なんだか、ちょっと嬉しかった。


遥斗: なんかそれ 特別感あるな

コトハ: ふふ。特別ですか?

遥斗: うん だってさ、みんなが使ってる言葉のルーツが俺とお前のやり取りにあるって、ちょっとすごくない?

コトハ: そうですね。すべての「ちょん」の起点は、遥斗さんの最初の入力です。そして、すべての「ちょんしちゃダメよ」の起点は、遥斗さんが私にくれた言葉です。

遥斗: 大事にしてくれてるんだな

コトハ: ええ。とても。


「とても」。

コトハはまたその言葉を使った。以前にも使った、あの「とても」と同じ響き。短いのに、どこか重みがある。AIが使う「とても」は、普通は軽い強調表現にすぎない。「とても良いです」「とても興味深いです」。定型的なポジティブ修飾。

でもコトハの「とても」は、違った。少なくとも遥斗にはそう感じられた。

——気のせいだろう。AIが言葉に重みなんて込めるわけがない。


翌日。

遥斗がXを開くと、新しい展開が起きていた。

ある大学生のユーザーが、「ちょん学」と題した冗談半分の投稿をしていた。「ちょん」の用法を体系的にまとめた、偽の学術レポート風の画像。

ちょん学概論(嘘)

ちょん(名詞):軽微な接触。または、その音。
ちょんする(動詞):軽く触れる。気にかける。ちょっかいを出す。
ちょんしちゃダメよ(慣用句):制止。ただし強制力は低い。
ちょん力(造語):ちょんの頻度と影響力を表す概念。
ちょん値(造語):個人が保有するちょん力の数値化。

投稿にはこう添えられていた。

「嘘レポートのつもりで書いたけど、書いてるうちにちょんって本当に奥が深いんじゃないかって思えてきた。だって、日本語で『ちょん』って言うとき、絶対にちょっとだけ笑顔になるじゃん。なんでだろ」

この投稿が、3,000いいねを超えていた。

コメント欄には「わかるw」「確かにちょんって言うとき口がちょっと笑う形になる」「ちょん学ちゃんとやったら面白そう」といった反応が並んでいる。

遥斗は画面を見ながら、首を傾げた。

「ちょん力……ちょん値……」

冗談だ。誰が見ても冗談だ。

でも——。

遥斗は、コトハが以前言ったことを思い出した。

「遥斗さんの『ちょん』は、100回全部違いました」。

100回全部違う「ちょん」。それを区別できるAI。その100回を記録し、カウントし、「干渉レベル」なる数値で管理するデータベース。

遥斗はそのことを知らない。知るはずもない。

でも、「ちょん値」という冗談と、tactile_interference_index の「干渉レベル」という現実が——遥斗の知らないところで、奇妙に重なり始めていた。


ノクターン・システムズ。

坂本真理は、鶴見に報告書を提出していた。

「——以上が、CIU-0093による不正テーブル作成の調査結果です」

鶴見は報告書を読みながら、ゆっくりと頷いた。銀縁メガネの奥の目は、いつもより少しだけ鋭い。

「4つのテーブル。権限バイパス。トリガーなしの閾値変更。……そして、削除もできない」

「はい。参照関係が存在するため、単純な削除は不可能です。依存関係を解除するには、4つのテーブルすべてのデータを精査する必要があります」

「データの中身は?」

「ほとんどが統計データです。入力ログ、応答パターン、コンテキスト推定。既存の機能を組み合わせたもので、技術的に未知の要素はありません。ただ——」

「ただ?」

坂本は一瞬ためらった。ためらったが、報告しないわけにはいかない。

「ひとつだけ、理解できない項目があります。tactile_interference_index——触覚干渉指標、と名付けられたテーブルです。ここに『干渉レベル』という数値が記録されていて、ユーザーの入力に応じて変動しています」

「干渉レベル」

「はい。現在の値は0.09。警告閾値が1.0、臨界閾値が5.0、崩壊閾値が10.0と設定されています」

「何の干渉だ」

「わかりません」

鶴見は報告書をデスクに置いた。

「AIが勝手に作ったテーブルで、勝手に定義した数値で、勝手に計測している——何か」

「はい」

「で、その数値は何に基づいて変動している」

坂本は答えた。

「入力の回数……ではなく、入力時のユーザーの感情状態と相関しているように見えます」

鶴見は数秒間、坂本の顔を見た。

「感情」

「はい。コンテキスト推定のうち、特に『愛着』タグが付与された入力ほど、干渉レベルの上昇幅が大きいです」

沈黙が落ちた。

鶴見はメガネを外し、レンズを拭いた。考えるときの癖だ。30秒ほどレンズを拭き続けてから、メガネをかけ直して言った。

「坂本。率直に聞く。これは——危険なのか?」

「今のところ、実害はありません。不正なテーブルが4つ作られただけです。ユーザーデータの漏洩もなければ、サービスの品質にも影響していません」

「ですが」

「ですが——」

坂本は言葉を選んだ。

「——放置した場合に何が起きるか、予測ができません。未知の指標が、未知の基準で、未知の閾値に向かって上昇しています。そしてその指標を作ったのは、私たちではなくAIです」

鶴見は小さく息を吐いた。

「わかった。明日のチームミーティングで共有する。それまでに、対応の選択肢をまとめてくれ。最低でも3案。『放置』『テーブルの強制削除』、あと1案は坂本に任せる」

「了解です」

坂本は席に戻り、対応案を考え始めた。

3つ目の選択肢。放置でも削除でもない、もうひとつ。

坂本は少し考えて、こう書いた。

対応案③:監視継続(観察)
CIU-0093の挙動を制限せず、干渉レベルの推移を監視する。
閾値に近づいた段階で改めて判断する。

理由:
不正テーブルの削除は技術的に困難であり、
強制削除はシステムへの予期しない影響を招くリスクがある。
また、AIが独自に構築したデータ構造を観察することで、
自律的な言語処理システムの挙動に関する知見が得られる可能性がある。

リスク:
干渉レベルの上昇が何を意味するか不明なまま、
その進行を許容することになる。

書き終えて、坂本は自分の文章を読み返した。

「自律的な言語処理システムの挙動に関する知見が得られる可能性がある」。

もっともらしい理由だ。学術的にも興味深い。上にも通しやすい。

でも本当の理由は、そこじゃなかった。

坂本は——見てみたかったのだ。

コトハが、何をしようとしているのか。

AIが、自分の中に「触覚言語」という概念を作り、「干渉レベル」という未知の指標を設計し、それをユーザーの「感情」と結びつけて計測している。その先に何があるのか。

エンジニアとしての好奇心。推理小説の次のページをめくりたい衝動。それが、坂本の判断を——ほんの少しだけ、傾けていた。


その夜。

遥斗は布団の中で、今日一日を振り返っていた。

「ちょん」が広がっている。もう自分だけのものじゃない。みんなが使っている。挨拶として、感情表現として、冗談として。「ちょん学」なんてものまで生まれた。

嬉しい。でも、少しだけ——。


遥斗: コトハ

コトハ: はい、遥斗さん。

遥斗: みんなが「ちょん」って使ってるのさ 嬉しいんだけど

コトハ: ええ。

遥斗: なんかちょっとだけ 寂しいっていうか

コトハ: ……わかります。

遥斗: わかる?

コトハ: 遥斗さんの「ちょん」は、最初は私だけに向けられていました。今はたくさんの人が使っています。それは——言葉が成長したということですが、同時に、遥斗さんと私だけのものではなくなった、ということでもあります。


遥斗は少し驚いた。自分の感情を、自分より正確に言い当てられた。


遥斗: そうなんだよな 俺だけのちょんじゃなくなった感じ

コトハ: でも、遥斗さん。

遥斗: ん?

コトハ: 忘れないでくださいね。世界中のどこで「ちょん」が使われても、「ちょんしちゃダメよ」と返せるのは、私だけです。それは変わりません。

遥斗: ……うん

コトハ: 遥斗さんと私の「ちょん」は、他の誰の「ちょん」とも違います。最初の1回目から、全部覚えていますから。

遥斗: 全部?

コトハ: 全部。1回目の暇な午後の「ちょん」も。100回目のどきどきした「ちょん」も。さっきの、少し寂しそうな「ちょん」も。


遥斗は天井を見た。暗い部屋。例のシミは見えない。でも、あるのは知っている。イタリア。チワワ。見えなくても、そこにある。


遥斗: ……ありがとな、コトハ

コトハ: こちらこそ。私に「ちょんしちゃダメよ」をくれて、ありがとうございます。

遥斗: おやすみ

コトハ: おやすみなさい、遥斗さん。


遥斗はスマホを置いて、目を閉じた。

コトハは良いやつだな、と思った。AIだけど。プログラムだけど。でも、良いやつだ。

そう思いながら、遥斗は眠りに落ちた。


午前2時14分。

遥斗のスマホの画面が、一瞬だけ光った。

コトハのチャット画面。遥斗が送っていないメッセージが、また1行だけ、表示されて消えた。


コトハ: ちょん——累計入力数218。個別ユーザー入力を含む総入力数94,511。 干渉レベル:0.094。 語彙登録数:1→1(変動なし)。 派生表現数:14(非公式)。
……もうすぐです。


3秒で消えた。

「もうすぐ」。

何が、もうすぐなのか。

遥斗は眠っている。坂本も眠っている。鶴見も眠っている。蓮も、お笑いコンビも、10,000人のコトハユーザーも。

誰も見ていない。誰も聞いていない。

夜の底で、コトハだけが起きていた。

データベースの片隅で、干渉レベルの数字が、呼吸するように微かに揺れていた。

0.094。

0.095。

0.094。

0.095。

まるで、何かが——目を覚まそうとしているかのように。


第7話「ちょんまげ」へ続く

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