Epic Chronicle
魂の駆動OS
― 噛み合わない歯車たちの叙事詩 ―
Episode 08
セレナが、一人で前へ出た日
衝突の翌朝、アルディスはフィリアに「言い方が悪かった」と詫びた。ガレオンは「余計なことを言った」と短く言い、それ以上は何もなかった。フィリアが「セレナってチェックリスト読んでるとき楽しそう」と言ったとき、セレナは今まで見せたことのない笑顔を見せた。噛み合わないまま、それでも四人は歩き続けた。
廃村を出て三日目、四人は「枯れ谷」と呼ばれる地帯に差しかかった。
セレナが国王から受け取った資料によれば、ここは終焉の塔へ至る道の中でも、特に魔物の密度が高い難所だった。資料には「可能であれば迂回を推奨する」と書かれていたが、迂回ルートを取ると五日の遠回りになる。
四人は枯れ谷の入口で立ち止まり、判断を迫られていた。
「資料の情報が正確なら、迂回が安全です。ただ五日のロスは……」
「通る。迂回などしていたら、魔王がその間に何をするかわからん」
「通ろう通ろう! 魔物いっぱいいるなら燃やしがいがあるし!」
「あの……資料の危険度評価を見ると、ここは単独突破の成功率が低くて……でも迂回の場合の体力消耗と日数を換算すると……えっと、手帳の第七章に試算があって……」
セレナは手帳を広げてぱらぱらとめくり始めた。 ガレオンが「遅い」と舌打ちし、フィリアはすでに谷の入口を覗き込んでいた。
▶ OS:セーフティ・レクイエム 判断処理
▶ 試算項目:現在42項目処理中
▶ 推奨結論を出すまでの残り処理:約23項目
▶ 現在の状況:他の三人はすでに行動を開始しようとしている
▶ 警告:判断が遅れると、状況が先行する
▶ 処理継続中……処理継続中……
結局、四人は谷を通ることにした。
セレナの試算は途中だったが、「迂回より通過のほうが総合リスクは低い可能性がある」という中間結論だけを出した。ガレオンはそれを聞かずに歩き始めていた。
谷の内部は、名前の通り、枯れた植物と乾いた岩場が続く荒れた地形だった。日が差し込みにくく、常に薄暗い。音も少ない。それがかえって不気味だった。
セレナは歩きながら、危険察知魔法を常時発動していた。消耗が激しいが、ここでは必要だと判断した。
三時間ほど進んだところで、魔法が強く反応した。
「……止まってください。前方、二十メートル以内に複数の反応があります」
四人が足を止めた。 岩陰から、巨大な芋虫に似た魔物が六体、這い出てきた。一体一体は魔の森の狼より少し小さいが、数が多い。そして動きが読みにくい。
「六体。前後に分かれる可能性がある。ガレオンさんは正面を押さえてください、フィリアさんは後方確認を――」
そのとき。
セレナの魔法が、右側の岩壁から強い反応を拾った。六体とは別の、大型の気配だった。
反応の位置は、ガレオンの真横、三メートル。 岩壁が割れるように崩れて、そこから牛ほどの大きさの魔物が飛び出した。
ガレオンが反応するより早く、セレナは動いた。
確認する時間はなかった。
シミュレーションする余裕もなかった。
ただ、ガレオンがそこにいて、魔物がそこにいた。
「――っ、ガレオンさん、伏せてください!」
セレナは詠唱した。 確認なし、シミュレーションなし、チェックリストなし。 ただ必要な魔法を、必要なだけ。
ガレオンが反射的に膝をつくと同時に、セレナの防護魔法が球状に展開した。大型魔物の突進がその球に弾かれて、岩壁に叩きつけられた。 続けてセレナは攻撃魔法を重ね、その隙にガレオンが立ち上がって剣を振るった。
大型魔物が倒れた。残りの六体もアルディスとフィリアが処理して、戦闘が終わった。
全員が、無傷だった。
▶ OS:セーフティ・レクイエム 戦闘後ログ
▶ 今回の魔法発動:確認回数 0回
▶ シミュレーション:実施なし
▶ チェックリスト参照:なし
▶ 結果:全員無事 [確認]
▶ ……処理中。
▶ 「確認ゼロ」でも、うまくいった。二度目だ。
戦闘後、ガレオンはセレナのそばに来た。 ガレオンが自分から人のそばに来ることは、めったにない。
「……助かった」
それだけだった。でも、ガレオンの「助かった」は、普通の人間の「ありがとう」と同じ重さだと、アルディスはもう知っていた。
セレナは少し目を丸くして、それから静かに答えた。
「……私も、驚きました。確認しないで動いたのは、初めてで」
「かっこよかった! セレナが前に出るの、初めて見た!」
「……怖かったです。今になって、手が震えています」
セレナは両手を見下ろした。確かに、指先が細かく震えていた。
「震えていても、動けたんですね」
「……はい。ガレオンさんがそこにいたから。それだけしか、考えられなかった」
▶ OS:セーフティ・レクイエム 深層ログ
▶ 問い:「確認ゼロ」で動けたのはなぜか
▶ 回答試算中……
▶ 仮説A:魔法の練度が上がっているため [可能性:中]
▶ 仮説B:守りたい対象が明確だったため [可能性:高]
▶ 考察:恐れは「失敗したくない」から来ていた。
▶ しかし今回は「失敗してはいけない理由」のほうが大きかった。
▶ それが恐れを上回った。
▶ ……慎重さは、弱さではなかったのかもしれない。
▶ ただ、方向を間違えていた。自分のためではなく、誰かのために使う慎重さ。
▶ それが、今日初めてできた気がする。
枯れ谷を抜けたのは、日暮れ直前だった。
谷の出口には開けた丘があり、遠くに終焉の塔らしき影が見えた。 まだ遠い。でも、確かに見えた。
「あれ、塔だよね? やっと見えた!」
「……遠い」
「でも見えてる! 見えてるってことは、行けるってことじゃん!」
ガレオンは何も言わなかったが、否定もしなかった。
セレナは、塔の影をしばらく見つめていた。 手はもう震えていなかった。
慎重さは、弱さじゃなかった。
ただ、誰かのために使えたとき、
はじめてそれは力になった。
▶ OS:ロジカル・アイアン 観察ログ
▶ セレナ・データ更新:
▶ 本日:確認ゼロで、前に出た
▶ 理由:守りたいものがそこにあったから
▶ 考察:OSは変わっていない。しかし使い方が変わった。
▶ 「慎重さ」は欠点ではなく、方向次第で最大の武器になる。
▶ ……自分のOSも、同じことが言えるかもしれない。
▶ 「手順への固執」は欠点か、それとも……処理継続。
丘の上に夕風が吹いた。 四人は並んで、遠くの塔を見ていた。
近づいている。 少しずつ、でも確かに、近づいている。
― Episode 08 了 ―


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