Epic Chronicle
魂の駆動OS
― 噛み合わない歯車たちの叙事詩 ―
Episode 01
異世界ログイン、ただし手順書なし
目が覚めたとき、アルディスの頭の中では、すでにチェックリストが動き始めていた。
▶ 起動シーケンス開始
▶ OS:ロジカル・アイアン バージョン不明
▶ 現在地の確認を推奨します
▶ 手順①:目を開ける [完了]
▶ 手順②:周囲の状況を把握する [処理中……]
▶ 手順③:安全を確認する [未着手]
▶ 警告:手順②が完了していません。手順③へは進めません。
……どうやら自分は、草むらの中に倒れているらしい。
空が、青い。やけに青い。自分の部屋の天井とは、明らかに違う。風が吹くたびに草が波打って、どこか遠くで鳥が鳴いている。鳥の声も、聞き覚えがない。
アルディスはゆっくりと上体を起こし、周囲を見回した。地平線まで続く草原。遠くに山の稜線。近くに、小さな石造りの標識らしきもの。
ここは、間違いなく、自分の知っている場所ではなかった。
状況を整理する。パニックは非効率だ。まず確認すべきことを列挙する。現在地。身体の状態。食料と水。危険の有無。連絡手段。……連絡手段がない時点で、手順が根本から崩壊している気がするが、それは後で考える。
すぐ近くに石の標識があった。近づくと、そこには見たことのない文字が刻まれている。しかし、不思議なことに、意味は頭に入ってきた。
――「ラグナルド街道。王都まで三日。魔の森まで半日。旅人よ、OSに従い、されど惑わされるな」
OS。その単語が、妙に引っかかった。
そのとき、背後から声がした。
「おい、そこのひょろいの。その標識、俺も読みたいんだが」
振り返ると、そこに立っていたのは、鎧をまとった大柄な男だった。重装備というより、もはや「鎧が歩いている」と形容すべき風貌で、その顔には最初から不満が刻まれているような、そういう種類の人間だった。
「……あなたも、ここに突然現れたんですか」
「突然現れた? 俺はここにいた。おまえが俺の前に突然現れたんだろうが。邪魔だ、どけ」
この人物は接触の第一声が「邪魔だ、どけ」だった。情報収集のためには対話が必要だが、対話の前提となる友好的関係の構築に、通常より多くのリソースが必要になる可能性がある。想定外だ。手順の修正を検討する。
アルディスが一歩下がると、ガレオンは標識を一瞥して、舌打ちをした。
「王都まで三日?魔の森まで半日?……こんな訳の分からない場所に放り込みやがって、誰の仕業だ。俺が悪いわけじゃないからな」
最後の一言が奇妙に強調されていたが、アルディスはとりあえず流すことにした。
そこへ、今度は草むらのほうから声が飛んできた。
「あ! あそこに人がいる! あと標識もある! あとあと、あの丘の向こうになんか光ってるものがある! ねえねえ、あれなんだと思う? 行ってみよ!」
現れたのは、黒いローブをまとった若い女性だった。ローブの裾を翻しながら、すでに丘のほうへ踏み出そうとしている。瞳がきらきらしていて、そのきらきらが若干、危ない。
「待ってください。まず現状を把握してからでないと――」
「現状把握なら終わってるよ! 知らない場所にいる、面白そうなものがある、行く! 以上!」
手順①から手順⑧まで、全て同時に処理しようとしている……? いや、そもそも手順という概念が存在していない。この人のOSは……どういう構造をしているんだ。処理中……処理中……エラー:理解不能。
「俺は知らんぞ。あいつが勝手に動いて何かあっても、俺のせいじゃない」
そのとき、草原の少し離れたところから、か細い声がした。
「あ、あの……あの、すみません……」
白いローブの女性が、おずおずと近づいてきた。手には分厚い手帳を抱えていて、その表紙には几帳面な文字でびっしりと何かが書き込まれている。
「あの、声をかけてもいいか、200回くらいシミュレーションしたんですけど……声をかけた場合の失敗パターンが47種類あって、でも声をかけない場合の失敗パターンも53種類あって……結局、確率的には声をかけたほうがわずかに安全という結論が出たので……その……こんにちは」
アルディスは、この状況を受け止めようとした。自分を除いて三人。一人は最初から不満顔で全てを他人のせいにしようとしており、一人はすでに丘へ駆け出そうとしており、一人は挨拶するのに200回のシミュレーションを要した。
……処理中。処理中。処理中。エラー:想定外の状況が多すぎます。手順の再構築を推奨します。しかし手順を再構築するための手順が、現在のリソースでは……処理中。
この世界――エクウィリオスでは、すべての人間は生まれながらに「魂の駆動OS」を持つ。それはいわゆる「性格」を司るものだが、単なる性格だけに留まらず、思考の根幹そのものになっている。OSは互いに干渉し合い、ときに激しく噛み合わない。しかし、噛み合わない歯車であっても、同じ軸に通せば動き出すことがある。……ただし、その「軸」を誰が担うのかは、まだ誰も知らない。
四人が顔を揃えたのは、それから数分後のことだった。フィリアがなんとか丘への突撃を思いとどまり(「あとで絶対行く!」という条件付きで)、セレナが挨拶を終え(200回のシミュレーション分の安堵が顔に出ていた)、ガレオンは「俺はこいつらと組む気はない」と一度宣言したものの、渋々そこに立っている。
アルディスは、四人の顔を順番に見た。それから、深く息を吸って、頭の中で手順を立て直した。
「……状況を整理させてください。おそらく全員、突然この場所に現れた。全員、ここがどこかわからない。全員、帰り方もわからない。これは合っていますか」
沈黙。それから、ガレオンが舌打ちをしながら頷き、フィリアが「合ってる合ってる! で、どうするの?」と身を乗り出し、セレナが「あの、頷いていいか確認するための確認をしてもいいですか」と手帳を開いた。
「……とりあえず、標識によれば王都まで三日です。情報収集と安全確保のため、まず王都を目指すのが手順として最善かと思います」
「賛成! あ、でも丘に寄り道してから行こ? 絶対あっちに何かある!」
「俺は同行を拒否したはずだ。王都の方向が同じだから、同行しているように見えるだけだ。勘違いするな」
「あの……王都に行く、ということ自体は、53パターンのリスク分析の結果、比較的安全な選択肢だと思います。ただ、出発する前にルートの確認と、天候の確認と、野営地の事前調査と、非常食の確認と……」
アルディスは、セレナの言葉が続いていくのを聞きながら、静かに空を見上げた。
噛み合わない。全員が、まるっきり噛み合っていない。自分以外の三人のOSがどういうものなのか、今の段階ではまったく理解できない。
――でも。
手順①として、まず動き出さなければならないのは、確かだった。
想定外の状況における最優先事項:崩壊した手順を嘆くより、新しい手順を作ること。……それが、今の自分にできる唯一の「正しい手順」だ。
「……では、出発します。道中の詳細は歩きながら決めましょう。全員、異論はありますか」
ガレオンは黙って歩き出した。フィリアはすでに丘のほうへ三歩進んでいた。セレナは「出発することに異論はないですが、出発の前に出発の安全性を確認するための確認を……」と言いながら、手帳を閉じて立ち上がった。
四つの歯車が、ばらばらのまま、同じ方向へ動き始めた。
噛み合ってはいない。でも、動いている。
それが、この旅の始まりだった。
― Episode 01 了 ―



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