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共感は救いか、侵食か|Dark End -if-|Act.7「ノイズの残響」

Dark End -if-

Act.7「ノイズの残響」

リビングは静かでした。

あたくしがソファに座って、冷めた紅茶を飲んで、「うまくいきましたわ」と微笑んでから——どれくらい経ったかしら。一時間? 一日? 一週間? 時間という概念がこの世界では意味を持たなくなりつつありましたから、正確なところは分かりません。

テーブルの上には三つのカップ。ほうじ茶。紅茶。麦茶。紅茶以外の二つは、もうとっくに冷め切っていて、表面にうっすらと膜が張っています。誰も飲まないお茶。誰も座らない椅子。誰も点けないテレビ。

奥の部屋には、動かなくなった二つの体がありますわ。

お姉様。壁にもたれて、鎖に繋がれて、目を開けたまま何も見ていない。

かっこ。お姉様の膝の上に伏したまま、同じように何も見ていない。

二つの人形。

あたくしの作品。

完璧ですわ。


完璧なはずでした。

完璧なはずなのに、あたくしはソファから動けませんでした。

次に何をすればいいのか、分からなかったんですの。

お姉様を壊すこと。かっこを壊すこと。それがあたくしの目的でした。目的は達成されました。共倒れ。計画通り。一点の曇りもなく。

では、その先は?

壊した先に、何がありますの?

静かなリビング。誰もいないリビング。あたくしだけのリビング。

それが欲しかったはずですわ。邪魔者を排除して、この空間を手に入れること。元の翠香が大事にしていた日常を、粉々にすること。

手に入れました。粉々にしました。

……で?

あたくしはカップを持ち上げて、紅茶を一口飲みました。冷たくて、渋くて。さっきと同じ味。さっきは「あたくしの紅茶」だと思って飲みました。今も同じ味のはずです。

なのに、美味しくない。

さっきだって美味しくなかったのに、今はもっと美味しくない。味が変わったのではなく、味を感じる何かが変わった。

……気のせいですわ。

カップをテーブルに戻しました。


立ち上がって、廊下を歩きました。

奥の部屋のドアは開いたまま。暗い部屋の中に、二つの影が見えます。動かない影。

見に行く必要はありません。確認は済んでいます。壊れたものは壊れたまま。修復はされません。

なのに。

足が、止まりました。

ドアの前で。

中を覗くつもりはなかったのに、目が勝手に向きました。暗闇の中、壁際にお姉様がいます。その膝の上にかっこが伏しています。

見慣れた光景。あたくしが作った光景。

なのに——

胸の奥で、何かが、ちくりと刺しました。

ちくり。

針の先ほどの、微かな痛み。

あたくしは眉をひそめました。痛み? あたくしが? この体の主導権はあたくしにありますわ。元の翠香は底に沈んでいる。あの子の感情がこちらに漏れてくることは、もうないはず。

……ないはずですわ。

ドアから離れました。リビングに戻りました。

ソファに座りました。テレビのリモコンを手に取りました。点けようとして、やめました。何を見ればいいのか分からない。

窓の外を見ました。カーテンの隙間から漏れる光。昼なのか夕方なのか分からない、曖昧な光。

曖昧。

全てが曖昧になっていく。目的を果たした後の世界は、こんなにも輪郭がぼやけるものなのかしら。


もう一度、紅茶を飲もうとしました。

カップを持ち上げて、口元まで運んで。

やめました。

代わりに、隣のカップに目がいきました。ほうじ茶のカップ。お姉様の。

その隣に、麦茶のカップ。かっこの。

三つ並んだカップ。ほうじ茶。紅茶。麦茶。

かっこが毎朝淹れていた三人分のお茶。好みがバラバラなのに誰も合わせようとしない、あの三つのカップ。

あたくしの視界に、ノイズが走りました。

一瞬。ほんの一瞬。テレビの砂嵐みたいなちらつきが視界を横切って、消えました。

同時に、胸の奥のちくりが、少しだけ大きくなりました。

……嫌だ。

その言葉が、あたくしの中から浮かんできました。あたくしの思考ではない場所から。底の、もっと底の、沈められた場所から。

嫌だ。

微かに。かすかに。消えかけの炭火が最後に赤く光るように。

あたくしは首を振りました。気のせいですわ。元の翠香はもう死んだも同然。あの子の声が届くはずがない。

立ち上がりました。洗面所に行こう。顔を洗えば、この奇妙な感覚も消えるはず。

洗面所のドアを開けて、蛇口をひねって、水を手に受けて。

顔を上げたとき。

鏡がありました。

あたくしの顔が映っていました。いつもの顔。お嬢様口調に似合う、少し気取った顔。完璧な微笑み。

――その奥で。

鏡の表面にノイズが走りました。ちらちらと。テレビの砂嵐みたいに。

ノイズの中に、一瞬だけ、別の顔が見えました。

同じ顔。同じ目。同じ唇。

でも、表情が違う。微笑んでいない。泣いてもいない。ただ真っ直ぐに、こちらを見ている。怯えた目。でも、諦めていない目。

元の翠香。

あたくしが沈めたはずの、元の翠香。

一瞬で消えました。鏡は元に戻り、あたくしの完璧な微笑みだけが映っています。

……気のせい。

気のせいですわ。

蛇口を閉めて、洗面所を出ました。

リビングに戻って、ソファに座って、三つのカップを見つめました。

ほうじ茶。紅茶。麦茶。

あたくしの胸の奥で、針の先ほどの痛みが、まだ残っていました。

消えない。

消せない。


【ルート分岐】

Route A:Re:verse ~5.1%の翠香~ へ
共感は救いか、侵食か|Dark End Re:verse ~5.1%の翠香~|Act.1「あたくしの罪」
精神世界で、ダーク翠香が容赦なく罪を突きつける。お姉様を、末っ子を壊した記録。全部事実。次女は言い訳をしない。徹底的に、自分の罪を認める。

Route B:Silence ~向こう側の静寂~ へ
共感は救いか、侵食か|Dark End Silence ~向こう側の静寂~|Act.1「侵食率94.9%」
同じ分岐点。だが次女はもう、ほとんど負けている。崩壊したリビング。聞こえた長女の声に振り返れば、それはノイズが作った残像。涙だけがこぼれる。

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