Dark End -if-
Act.5「解体」
一日目。
足音が来る。光が来る。かっこが来る。
「すーねーちゃん、今日は、ひとつだけ聞くね?」
しゃがんで、わたしの顔を覗き込む。鎖に繋がれたわたしと、自由に動けるかっこ。その構図だけで、もう十分に答えは出ている。
「すーねーちゃんはさ、なんで長女なの」
「……え……」
「なんで一番上なの。誰が決めたの。すーねーちゃんが望んだの?」
望んだかどうかなんて、考えたこともなかった。長女として生まれて、長女として存在している。それだけ。
「……決められたこと……だよ……」
「そうだよね。決められたんだよね。すーねーちゃんは、"長女をやらされてる"んだよ」
やらされている。
「守る役。まとめる役。最後に立ってる役。全部、すーねーちゃんが選んだんじゃなくて、"そういう設定"だっただけ」
設定。
その言葉が、妙に深く刺さった。
「じゃあ、すーねーちゃん。その"設定"を取ったら、すーねーちゃんには何が残るの?」
答えられなかった。
かっこが立ち上がって、去っていった。
暗闇の中で、わたしは自分の手を見た。鎖に繋がれた手。この手で何かを守ったことは、あっただろうか。
……あった。あったはずだ。
三日目。
「ねえ、すーねーちゃん。すーねーちゃんって、ドジだよね」
かっこが笑いながら言った。前のかっこと同じ言い方。同じ声。同じトーン。
「寝癖ひどいし、卵落とすし、玉ねぎで泣くし」
「……うん……」
「あたしたち、それを笑ってたよね。『すーねーちゃんどんくさいなあ』って」
「……うん」
「でもさ」
かっこの目が、すっと細くなった。
「あれ、笑ってたんじゃなくて、呆れてたの」
心臓が、握りつぶされるみたいに痛んだ。
「だって、すーねーちゃん、何もちゃんとできないじゃん。料理も下手。仕事の記憶も曖昧。しっかりしてるフリしてるだけで、中身は一番子どもでしょ」
「……そんな……」
「あたしが全部リカバリーしてたんだよ? すーねーちゃんの分まで。すーねーちゃんが失敗するたびに。毎回毎回。……それ、感謝されたことある?」
ある。あるはずだ。「ありがとう」って言った。言ったはず。
「ないよ。すーねーちゃんは『ごめんね』は言うけど、『ありがとう』は言わない。謝って終わり。それで許されると思ってる」
違う。違うよ。わたしは。
「すーねーちゃん。あたしはね、ずっと思ってたの」
かっこがわたしの顎を掴んだ。持ち上げた。目と目が合う。かっこの目に感情がなかった。わたしの目には涙が溢れていた。
「すーねーちゃんがいなくても、あたしたちはやっていける、って」
手が離れた。顎が落ちた。
足音が遠ざかる。
暗闇の中で、わたしは声もなく泣いた。
七日目。
かっこの来訪が、日常になっていた。
毎日来る。毎日、ひとつずつ壊す。わたしが信じていたものを。わたしが大事にしていたものを。
「すーねーちゃんが守ろうとしたものって、何だったの?」
「……二人を……」
「二人って誰? あたしといーねーちゃん? ……あたしたち、守ってほしいなんて頼んだ?」
「すーねーちゃんの"守る"って、結局自己満足でしょ。あたしたちのためじゃなくて、すーねーちゃんが"守る自分"でいたかっただけでしょ」
「すーねーちゃんの正しさって、誰にも届かなかったじゃん。怒っても無視しても泣いても、何も変わらなかったじゃん。……それって、正しかったって言える?」
ひとつ。
またひとつ。
わたしの中に積み上げてきた全てが、かっこの言葉で剥がされていく。レンガの壁を一枚ずつ外すように。丁寧に。正確に。一枚も残さず。
十二日目。
かっこの目が変わっていた。
最初は冷たくても穏やかだった目が、日を追うごとに鋭くなっている。
嫉妬が、変質していた。
「ねえ、すーねーちゃん」
今日のかっこは、立ったままわたしを見下ろしていた。しゃがんでくれなかった。目線を合わせてくれなかった。
「あたしさ、ずっとすーねーちゃんのこと、すごいと思ってた。自慢だった。うちの長女はこんなにしっかりしてるんだって」
「……」
「でもさ、こうして見ると」
かっこが、わたしの髪を掴んだ。ぐい、と持ち上げた。頭皮が引っ張られて痛い。
「全然すごくないじゃん」
声が、冷たかった。氷の底みたいに。
「鎖に繋がれて、泣いて、震えて。何もできないで座ってるだけ。……これがあたしの自慢の長女?」
髪を掴んだ手が、乱暴に離れた。頭ががくんと落ちた。
「がっかり…」
その言葉は、今までの中で一番痛かった。
怒られるよりも。否定されるよりも。嘘だと言われるよりも。
「がっかり」が、一番深く刺さった。
十七日目。
わたしはもう、かっこが来ても顔を上げなくなっていた。
鎖に繋がれた体は、もうほとんど動かない。動かす気力がない。食べてない。眠れてない。目が乾いていて、涙ももう出ない。
かっこが来た。
「すーねーちゃん」
返事をしなかった。
「すーねーちゃん。顔見せて」
わたしの顎を掴んだ。持ち上げた。もう抵抗する力がなかった。されるがままに上を向いた。
かっこの顔が、ぼんやりと見えた。焦点が合わない。
「……すーねーちゃん。あたしが誰か、分かる?」
「……」
「すーねーちゃん?」
口を開こうとした。唇が動いた。音が出なかった。
かっこの手が、顎から離れた。頭が落ちた。もう自力で上げることもできなかった。
「……すーねーちゃん。聞こえてるでしょ」
聞こえていた。聞こえていたけれど、もう何も返せなかった。
言葉が、意味を失っていた。かっこの声が音として聞こえるけれど、意味に変換されない。日本語が日本語として認識できない。ただの音。ただの振動。
「すーねーちゃん。……すーねーちゃん。ねえ。返事してよ」
かっこの声に、かすかな焦りが混じった。
「……すーねーちゃん?」
静かに、わたしの目から、最後の涙が一粒だけ落ちた。それが何を意味するのか、もう自分でも分からなかった。
かっこの手が、わたしの頬に触れた。涙を拭った。
「……え……嘘でしょ……」
かっこの声が、震えた。でもそれは「あっちの世界」に支配されたかっこの声で、震えはすぐに消えた。
「……ふーん。壊れちゃったんだ」
平坦な声。
足音が遠ざかる。
暗闇が残った。
わたしは、もう何も思わなかった。何も感じなかった。壁に背をもたれて、鎖に繋がれて、暗闇の中に座っていた。
生きている。
ただ、それだけ。


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