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共感は救いか、侵食か|Chapter 5:崩壊と救済|Act.1「もう頑張らなくていい」

Chapter 5:崩壊と救済

Act.1「もう頑張らなくていい」

朝が来た。

起き上がれなかった。

ベッドの中で、天井を見つめている。体は動くはずなのに、動かす理由が見つからない。リビングに行けば2人がいる。笑っている。わたしだけを置いて、2人の世界を作っている。

そこに、わたしの席はあるのだろうか。

……ある。あるはずだ。だって家族だから。3人姉妹だから。わたしは長女で、あの2人の姉で、守る側の人間で。

守る側。

もう何も守れていないのに。

時計を見た。見なければよかった。時間だけが正確に進んでいることが、残酷だった。世界はわたしの苦しみとは関係なく回っている。

ベッドから出た。顔を洗った。鏡に映った自分は、知らない人みたいだった。目の下に隈がある。頬がこけている。髪は——寝癖がついているけど、直す気力がない。

前は、寝癖を直すのに慌てて洗面所に走っていた。かっこに「右半分が独立宣言してる」って笑われて。いーちゃんに「戦場帰りですの?」って言われて。

今、笑ってくれる人はいない。

いや、笑ってくれる。2人とも笑う。でもそれは、前の笑い方じゃない。

リビングに出た。


2人はソファにいた。並んで。近くて。もう肩が触れるどころか、かっこがいーちゃんに寄りかかっている。

前のかっこなら、絶対にしなかったこと。

「おはよう、すーねーちゃん」

かっこが顔を上げた。穏やかな笑顔。

「おはようございます、お姉様」

次女も微笑む。完璧に。

「……おはよう」

声がかすれた。喉が乾いている。

台所に行って、水を飲んだ。お茶を淹れる気力がない。水だけ。冷たくて、味がない。

「すーねーちゃん、お茶淹れようか?」

かっこがソファから立ち上がりかけた。

「いい。水でいい」
「でも——」
「いいって言ってるの」

きつく言ってしまった。かっこが少し目を丸くした。いーちゃんがちらっとこちらを見た。

「……ごめん。ちょっと、寝不足で」
「そっか。……大丈夫?」
「大丈夫」

大丈夫じゃない。でも他に言う言葉がない。

テーブルについた。2人はソファに戻る。またくっついて座る。

わたしだけが、テーブルにいる。距離は数メートル。でも、それが何キロメートルにも感じる。


昼過ぎ。

いーちゃんが自分の部屋に引っ込んで、リビングにはわたしとかっこだけになった。

かっこがゆっくりと立ち上がり、テーブルのわたしの向かいに座った。正面。目の前。

「ねえ、すーねーちゃん」
「……なに」
「あのさ、ちょっと話してもいい?」

胸の奥が、きゅっと縮まった。

「……話って?」
「大した話じゃないよ。ただ……すーねーちゃんのこと、心配で」
「心配しなくていい」
「するよ。だって家族じゃん」

家族。

その言葉をかっこが使うと、もう何も言い返せなくなる。わたしだって「家族だから」を理由に2人を守ろうとしていた。同じ言葉を返されると、盾が盾として機能しなくなる。

「すーねーちゃん。最近、ずっと1人でいるよね」
「……2人がいるから、1人じゃないよ」
「体はね。でも、心は1人でしょ」

見抜かれている。

「すーねーちゃんはさ、ずっとあたしたちを『元に戻そう』としてくれてたよね」

かっこの声が、静かに響く。

「怒ったり、泣いたり、話し合おうとしたり。全部、あたしたちのためだって、分かってるよ」
「……だったら……」
「でもね、すーねーちゃん」

かっこが少し身を乗り出した。

「それって、すーねーちゃん自身のためでもあったんじゃない?」

息が止まった。

「あたしたちが元に戻れば、すーねーちゃんの日常も戻る。すーねーちゃんが安心できる。すーねーちゃんの世界が、また前みたいになる。……そうでしょ?」

「……それの何がいけないの」

「いけなくないよ。全然いけなくない。ただ……」

かっこが、少し悲しそうな目をした。

「すーねーちゃんは、あたしたちを守ってたんじゃなくて、"前の日常"を守ってたんだよ」

一瞬、頭が真っ白になった。

前の日常を守っていた。わたしたちを、じゃなくて。「前の状態の」わたしたちを。

つまり、今の2人は守る対象じゃないと。今の2人は、わたしにとって「取り戻すべき過去」でしかないと。

「……違う」

声が震えた。

「わたしは、2人のことが……2人自身のことが心配で……」
「うん。分かってるよ」

かっこが優しく頷いた。

「分かってる。でもね、すーねーちゃん」

テーブルの上で、かっこの手が、そっとわたしの手に触れた。

「あたしたちは、今ここにいるよ。"前のあたしたち"じゃないけど、ちゃんと、ここにいる」

手が温かかった。

振り払うべきだと分かっていた。この温もりが、わたしの中の何かを溶かすと分かっていた。

でも。

温かかった。

それだけで、十分だった。

「……来ないで……お願い……」

声がかすれた。

「怖い?」

「怖いよ……」

「そっか」

かっこが、小さく微笑んだ。

「じゃあ、もっと優しくするね」

心臓が、跳ねた。

「怖い」と言ったら離れてくれるはずだった。普通は。怖がっている相手に近づくのは間違いだから。離れるのが正しいから。

でもかっこは離れない。「もっと優しくする」と言った。怖がっている相手を、優しさで包んで、逃げ場をなくす。

恐怖の原因が優しさなのに、その優しさを増やしてどうする。

わたしは手を引いた。立ち上がった。椅子が音を立てて引いた。

「……ごめん。ちょっと、1人にして」

背を向けて、廊下に出た。

背中に、かっこの視線を感じた。追いかけてはこなかった。

追いかけてこないのが、逆に怖かった。焦っていない。余裕がある。「いつでもいい」と思っている。わたしがどこに逃げても、いずれ戻ってくると知っている。

だって。

わたしには、ここにしか帰る場所がないから。

共感は救いか、侵食か|Chapter 5:崩壊と救済|Act.2「ポキッ」
次女が極限まで削り、末っ子がとどめを刺す。「何もしなくてよかったんだよ」。長女が折れると同時に、末っ子自身の最後の5%も、音もなく崩れ落ちた。

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