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共感は救いか、侵食か|Chapter 1:日常と違和感|Act.1「三人の翠香」

Chapter 1:日常と違和感

Act.1「三人の翠香」

うちには、姉が2人いる。

これだけ聞くと普通の話だ。別に珍しくもない。ただ、ひとつだけ普通じゃないことがあって――3人とも、名前が同じなのだ。

翠香。読みは「すいか」。

なんでそうなったのか、あたしは知らない。というか、考えたこともなかった。だって物心ついたときから……いや、「気づいたとき」からずっとそうだったし、困ったこともない。

あたしは、上の姉(長女)を「すーねーちゃん」、下の姉(次女)を「いーねーちゃん」と呼ぶ。
すーねーちゃんは、次女を「いーちゃん」、あたしを「かっこ」と呼ぶ。
で、いーねーちゃんは、すーねーちゃんを「お姉様」、あたしを「かっこ」と呼ぶ。
それで何も問題なく回っているのだから、本当の名前なんて飾りみたいなものだ。
同じ名前だからって、3人が同じ人間ってわけじゃない。
それだけは確かだ。


「――ちょっと、かっこ。これ見てくださる?」

朝。
リビングに出ると、いーねーちゃんがソファに陣取って、ファッション誌を広げていた。正確に言うと、ファッション誌をあたしに向けてぐいっと突き出していた。表紙にはデカデカと「秋のトレンド先取り!」の文字。

「……朝からテンション高いね」
「高くありませんわ。これが通常運転ですの」

通常運転って言う人に限って、大体通常じゃない。あたし調べ。

「見てくださるだけでいいの。ほら、この秋のボルドー特集。素敵だと思いません?」
「いや、今まだ春なんだけど」
「先取りですわ」
「先取りにもほどがある」
「ファッションとは常に半歩先を行くものですのよ」
「半歩じゃなくて半年先いってるけど」

いーねーちゃん。大学生。口調がやたら丁寧というか、お嬢様っぽいというか、とにかく妙に気取った喋り方をする。中身はそこまででもないくせに、言葉遣いだけ3世代くらい上にいる。「これが素ですわ」と本人は言い張るけど、あたしは半信半疑だ。半分以上「疑」寄り。

「それで? ボルドーがどうしたの」
「あたくし、この色でトータルコーディネートを組みたいと思いまして」
「はあ」
「ですから、かっこの意見を聞きたいのですわ」
「あたしに聞かれても。高校生のファッションセンスに何を期待してるの」
「若者のフレッシュな感性、というやつですわ」
「いーねーちゃんだって十分若いでしょ」
「あたくしはもうフレッシュではありませんの。熟成期に入っておりますわ」
「果物みたいに言わないでよ」

と、奥の部屋のドアが開いて、もそもそと影が現れた。

「……おはよ……2人とも早いね……」

すーねーちゃん。
寝ぼけた目。ぼさぼさの髪。左の裾だけパジャマからはみ出してる。社会人1年目のくせに、寝起きの姿だけ見たら完全に小学生だ。

「お姉様、おはようございます。……その頭、戦場帰りですの?」
「え?」

すーねーちゃんが自分の頭に手をやって、固まった。

「あ――やだ。ちょっと、ちょっと待って」
「待ってもどうにもならないと思うよ、すーねーちゃん。右半分が独立宣言してるもん」

慌てて髪を押さえるすーねーちゃん。でも押さえたところで寝癖が直るわけもなく、どこを押さえても別のところが跳ねる。モグラ叩きみたいで見てて面白い。

「ふふっ……お姉様、いっそ全部跳ねさせたら新しいスタイルになるかもしれませんわよ?」
「ならないよ! ちょっと洗面所行ってくる……!」

ぱたぱたと洗面所に駆けていくすーねーちゃん。数秒後、鏡を見たらしく「うわあっ」という悲鳴が聞こえた。

……毎朝これだ。

あたしは苦笑しながら台所に立って、お湯を沸かす。3人分のお茶を淹れるのは、いつの頃からかあたしの担当になった。すーねーちゃんはほうじ茶、いーねーちゃんは紅茶、あたしは麦茶。好みがバラバラ、誰も合わせようとしないあたり、うちらしいと思う。

やかんの湯が沸くのを待ちながら、ふと考える。

――いつからだっけ。

3人で暮らし始めたのがいつだったか。引っ越しの記憶とか、荷解きの記憶とか、そういうのが思い出せない。「いつからここにいるの?」って聞かれたら、たぶん答えに詰まる。

……まあ、そういうものか。
大昔のことなんていちいち覚えていられない。

やかんが鳴って、あたしはその考えを振り払った。


髪をどうにかしたすーねーちゃんが戻ってきて(まだ右側がちょっと跳ねてたけど、本人が気づいていないので黙っておいた)、3人でリビングのテーブルを囲む。

いーねーちゃんがまだファッション誌を手放さない。

「お姉様はボルドー、どう思います?」
「ボルドー? えっと……ワインの産地?」
「色ですわ。色」
「あ、色のボルドーか。うーん……暗めの赤、だよね。大人っぽくていいんじゃない?」
「でしょう? あたくし、この秋はボルドーで統一しようかと」
「全身ボルドーってこと?」
「トータルコーディネートですわ」
「それは……ちょっと攻めすぎじゃない……?」

すーねーちゃんがやんわり止めようとする。やんわりすぎて止まらないやつだ。

「あたしも思った。全身ボルドーはさすがに暑苦しいでしょ」
「暑苦しいとは失礼ですわ!」
「だってさ、上から下まで同じ色って、それもう人間じゃなくてインテリアだよ」
「……インテリア……」

いーねーちゃんが一瞬ぽかんとして、それから「ぷっ」と吹き出した。

「あはは……確かに、カーテンみたいになりますわね」
「でしょ」
「じゃあ、ボルドーはワンポイントにして……ああ、でもそうするとバランスが……」

また雑誌に没頭し始めるいーねーちゃん。こうなると長い。

すーねーちゃんがほうじ茶を啜りながら、ぽつりと言った。

「……かっこは、今日なにするの?」
「んー。特に予定ないけど」
「じゃあ、のんびりだね」
「すーねーちゃんは?」
「わたしは午後からちょっと……えっと、あれ。何だっけ。あっ、書類。書類整理」

言いかけて詰まるすーねーちゃん。こういうところが抜けている。社会人としてやっていけているのが奇跡だと常々思う。本人は「ちゃんとやってるよ!」と主張するが、信憑性は低い。

でも、まあ。
不器用だけど、何かあったときに一番最初に「大丈夫?」と声をかけてくれるのは、いつもこの人だ。

「あ、今日の夜ごはんどうする?」

あたしが聞くと、いーねーちゃんが雑誌から顔を上げた。反応が早い。

「カレーがよろしくてよ」
「昨日もカレーだったじゃん」
「カレーは2日目が本領ですわ」
「作り置きの話じゃなくて、新しく作る話をしてるの」
「では新しいカレーを」
「カレーへの執着がすごい」

すーねーちゃんが遠慮がちに手を挙げた。

「あの……私、ハンバーグがいいな」
「ハンバーグか。まあいいけど、作るのあたしだからね?」
「あっ、手伝うよ! わたしも手伝う!」
「すーねーちゃんが手伝うと時間が倍かかるんだよ」
「……否定できない……」

しゅんとするすーねーちゃん。ちょっとかわいそうだったので、「玉ねぎ切るくらいならいいよ」と言ったら、ぱっと顔が明るくなった。この人、ほんとに社会人1年目なのか。

いーねーちゃんがカップを置いて、すっと姿勢を正した。

「あたくしも手伝いますわ。ハンバーグの――」
「こねるだけね」
「……こねるだけ……ですの?」
「いーねーちゃんに火の近く立たせると怖いから」
「……一度だけですわよ、あの件は」
「一度で十分だよ。台所の壁、まだちょっと焦げてるからね」
「あれは事故ですわ……」

すーねーちゃんが小さく笑った。

「でも、3人で作るの楽しいよね」

……まあね。
素直に肯定するのは照れくさくて、あたしはそっぽ向いてお茶を飲んだ。


午後。

すーねーちゃんは書類整理とやらで自分の部屋に引っ込んで、あたしはリビングでだらだらとテレビを見ていた。いーねーちゃんはいつの間にかファッション誌を閉じて、あたしの隣に座ってテレビを見ている。

「……ねえ、かっこ」
「んー?」
「あたくしたちって、ずっとこうしていられるのかしら」
「こうって?」
「こうやって、3人で、のんびり過ごすこと」

なんか急にしんみりしたことを言い出したので、横を見たら、いーねーちゃんはぼんやりとテレビの画面を見つめていた。その横顔が、いつもの気取った感じじゃなくて、なんだか少し幼く見えた。

「……なに急に。怖い夢でも見た?」
「べ、別にそういうわけじゃありませんわ! ただ、ふと思っただけで」
「ふーん」

あたしはテレビに視線を戻した。

「まあ、ずっとかは知らないけどさ。少なくとも今は3人いるし、明日もたぶんいるし。それでよくない?」
「……そうですわね」

姉ちゃんが小さく笑った。いつもの「おーほっほ」みたいな笑いじゃなくて、もっと素朴な、柔らかいやつ。

「そうですわよね。ええ。今があれば十分ですわ」


夜。

3人でハンバーグを作った。
すーねーちゃんは玉ねぎを切りながら3回泣き、いーねーちゃんはひき肉をこねすぎてペースト状にし、あたしはそれを全部リカバリーした。いつも通りだ。

「うん、おいしい!」
「かっこの手際が良すぎますわ。あたくしの立場がありませんの」
「いーねーちゃんの立場は、こねるところで全うしたでしょ」
「こねただけですわよ!?」
「うん。だから完璧にこねてくれてありがとう、って言ってるの」
「……ほんとに?」
「ほんとに」
「……ふん。まあ、当然ですわ」

照れ隠しが下手だな、この人。

すーねーちゃんがにこにこしながらハンバーグを切り分けている。幸せそうだ。この人の幸せの閾値は世界一低いと思う。ハンバーグひとつでこの笑顔が出るんだから、コスパがいいにもほどがある。

「ねえ、明日もお休みだよね?」
「うん。あたしも休み」
「あたくしも講義はありませんわ」
「じゃあ、明日も3人でなにかしよう」

すーねーちゃんがそう言って笑った。

「さんせー」
「まあ、特に反対する理由もありませんわね」

食器を片付けて、テレビを見て、たわいもない話をして。

すーねーちゃんが最初にうとうとし始めて、「もう寝なよ」と言ったら「まだ起きてる……」と言いながら3秒で寝た。いーねーちゃんがブランケットをかけてあげていた。そういうところは優しい。

――ああ、いい1日だった。

あたしは自分の部屋に戻りながら、そう思った。3人の名前が同じだろうが、性格がバラバラだろうが、なんだっていい。この日常が続けば、それでいい。

それで――

……ん?

部屋のドアを開けようとして、ふと廊下で足を止めた。

なんだろう。

午後、いーねーちゃんが言ったこと。「ずっとこうしていられるのかしら」。

なんであのタイミングで、あんなことを言ったんだろう。

考えて、やめた。
きっと深い意味なんてない。いーねーちゃんはたまにそういう、脈絡のないことを言う。
それだけだ。

あたしはドアを開けて、部屋に入った。

廊下の電気を消す。
暗闇の中、一瞬だけ、視界の端がちらついた気がした。
テレビの光が漏れたのかもしれない。

気にせず、ドアを閉めた。

共感は救いか、侵食か|Chapter 1:日常と違和感|Act.2「ちいさなノイズ」
次女の言葉が、ほんの少しずつずれていく。「人は変わるもの?」「好き?」。日常会話のはずなのに拭えない違和感。長女だけが、何かに気づき始める。

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