結衣のシャープペンが、また止まった。
止まると、彼女はきまって消しゴムの角をかじる。ノートの余白には、小さな猫だの花だのが、いつのまにか増えている。落書きはうまいのに、英語の点だけが、どうしても伸びなかった。
中学一年の春から、私は週に二度、結衣の家の食卓で英語を見ていた。台所からは母親が立てる物音と、麦茶を出すときの「冷たいの、飲んでね」という声。コップの水滴がノートの端をじわりと湿らせる。どこにでもある、平凡な夕方だった。
「先生、これ……」
結衣が問題集の一行を指でなぞった。〈There are a lot of books.〉
「a って、『ひとつ』って意味でしょ。習った。なのに、なんで a lot of だと『たくさん』になるの? ひとつなのに、たくさん。……変じゃない?」
いい質問だった。今ならそう思う。けれどそのときの私は、赤ペンの尻で机をこつこつ叩いて、こう言ったのだ。
「ああ、それはそういう言葉。a lot of でワンセットなの。理屈はいいから、まるごと覚えちゃおう」
結衣は「……うん」と小さく頷いて、シャープペンを動かした。でも、その「うん」は、納得の「うん」じゃなかった。質問を引っ込めるときの「うん」だった。私は、気づかないふりをした。気づいていたくせに。
夏のはじめ、期末テストが返ってきた。
38点。結衣はその紙を裏返しにして、そっと私の前に置いた。点数を見られたくなかったんだと思う。
「私、やっぱ頭悪いんだよね」
軽く笑ってそう言うのが、いちばん見ていられなかった。覚えなさいと言われたものを、結衣はちゃんと覚えようとしていた。単語カードを作り、赤シートで隠し、口の中でぶつぶつ唱えていた。努力していないわけじゃない。むしろ逆だ。誰よりやっている。
なのに、こぼれていく。砂を握るみたいに、覚えたそばから、指の隙間から落ちていく。
頭が悪いんじゃない、と私は思った。やり方が、この子に合っていないだけだ。
——でも、合うやり方って、なんだ。
その答えを、私はずっと前から知っていた。知っていたのに、忘れたふりをしていただけだった。
小学生のころ、私も英語塾に通っていた。
そこでは、文法を一度も習わなかった。飴が欲しいときは "May I have some candy?" と言う。ちゃんと言えたら、本当に飴がもらえた。帰り際にはみんなで "See you next week. Goodbye!" と叫んで、転がるように外へ出た。靴のかかとを踏んだまま走った、あの感じ。
あれは勉強じゃない。遊びだった。英語を学んでいたんじゃなくて、英語で遊んでいたんだ。だからだろう、何十年経った今でも、あのときの言葉だけは、体のどこかにくっついて離れない。
中学に上がると、英語は「言葉」から「科目」になった。品詞。文型。なぜそうなるのかを説明させられ、説明できなければ×がついた。私は少しずつ、英語から離れていった。そうして長いあいだ、自分は外国語が苦手なんだと思い込んでいた。
でも違ったのだ。私は外国語が苦手だったんじゃない。外国語を“勉強する”という形が、苦手だっただけだった。
それに気づいたのは、ずいぶん大人になってからだ。ある日ふと、あの a lot of を思い出した。aはひとつ。なのに a lot of はたくさん。なぜ。——子どものころの私が、本当はしたかった質問。
考えて、考えて、ある瞬間、ほどけた。「ひとまとまり」なんだ、と。
一山のリンゴ。一束の花。数える単位は、ひとつ。でも、その中身は、たくさん。ひとつの山の中に、リンゴはたくさんある。ひとつの束の中に、花はたくさんある。だから a lot of で「たくさん」になる。
ああ、そういうことだったのか。
何年もひっかかっていた小骨が、すっと抜けた。あの、急に息が深く吸えるような感じを、私は今でも覚えている。
——そうだ。私は結衣に、私自身が壊れたのと、そっくり同じやり方で教えていた。
次の週から、私はやり方を変えた。
覚えさせるのを、やめた。かわりに、遊ぶことにした。
単語を暗記させない。〈run〉が出てきたら、「走る、で合ってる。じゃあ『鼻水が出る』も英語で run だって言ったら、信じる?」と訊く。結衣は「うそだぁ」と笑う。「ほんと。蛇口も、川も、流れるものはだいたい run。鼻水だって、流れてるでしょ」。結衣の目が、ちょっと開く。「……つながってる」。そう、つながってる。
文法も、「なぜ」から入った。例えば、なぜ三単現に s がつくのか。理由を一緒にさがした。さがして、見つからなければ「これは英語側の都合だから、そっと棚に置いとこ」と笑った。覚えろ、とは言わなかった。覚えなくていい、わかればいい、と言った。
不思議なもので、わかったもの・理解したものは、覚えようとしなくても記憶に残った。そして、結衣は知識を“集める”のをやめて、知識同士を“つなぐ”ようになった。点が線になり、線が、形になっていく。すると、次のテストは61点。その次は、74点。テストが返却された日、結衣の母親が玄関先で声を詰まらせて、何度も頭を下げた。
でも、私がいちばん覚えているのは、点数の話じゃない。
ある秋の夕方、私はふいに、春のあの日のことを思い出した。
a はひとつなのに、なぜ a lot of はたくさんなのか。結衣がした、あの質問。私が「覚えればいい」のひと言で蓋をした、あの質問。
ずっと、胸の奥につかえていた。
「結衣ちゃん」と私は切り出した。「春に、訊いてくれたよね。a はひとつなのに、a lot of でなんでたくさんになるの、って」
結衣のシャープペンが止まった。
「……覚えてたの、先生」
「うん。あのとき、ちゃんと答えなくて、ごめんな」
私はノートの余白に、リンゴの山と、花束を描いた。我ながら下手な絵だ。それでも、落書きの得意な結衣は、じっとそれを見ていた。
「a って、本当は『ひとつ』っていうより、『ひとまとまり』なんだ。一山のリンゴ。一束の花。数えるときは、ひとつ。でも、中身は——」
「……たくさん」
結衣が、続きを言った。
「ひとつの山に、リンゴはたくさん入ってる。だから、ひとつなのに、たくさん」
私は頷いた。結衣は絵を見つめたまま、しばらく動かなかった。それから、ずいぶん小さな声で言った。
「私、それ、ずっとわからなくて」
「うん」
「ずっと、ずーっと、もやもやしてて。誰に訊いても、覚えればいいって言われて。だから、わからない私が悪いんだって、思ってて」
結衣の目から、ぽろっと、ひとつぶ落ちた。本人がいちばん、驚いた顔をしていた。
「あれ。……やだ、なんで」。慌てて手の甲でこする。それでも止まらない。「先生。ずっとわからなくて悩んでたことが、今、すっごくすっきりした。……すっきりしたのに、なんでか、涙、出てきた」
勉強は、詰め込めばいいものじゃない。
覚えなさい、で覚えられる人もいる。それはそれで、立派な才能だ。でも、そうじゃない人もいる。「なぜ」がわからないと、一歩も前に進めない人。知識を集めることより、つなぐことに喜びを感じる人。教科書のとおりにやることだけが、勉強じゃない。入口は、いくつあったっていい。
あの日、結衣が流したのは、たぶん、ずっと我慢していた分の涙だ。わからない自分を責めてきた時間の、ぜんぶ。それが、「ああ、そういうことだったのか」のひと言で、すうっと溶けた。
ひとつの中に、たくさん。
結衣という、ひとりの子の中にも、私の知らないたくさんが、まだきっと詰まっている。私はただ、山をひとつ、ほどく手伝いをしただけだ。
だから、焦らなくていい。
次の疑問を、ひとつ、見つけるところから。きっとまたその先で、新しい「そういうことだったのか」が、待っているのだから。



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