出会いの、みきょんじゅり[最終話]

出会いの、みきょんじゅり
第 8 話

「東屋のその先」

——と、まあ、そういう話だ。

長くなったな。付き合ってくれてありがとう。


え?その後どうなったかって?

そうだな。プロポーズの後のことを、少しだけ話そうか。


あの日、東屋で「イエス」をもらった後、俺たちはしばらくベンチに並んで座っていた。何を話したか、正直あまり覚えていない。泣いたり笑ったり、意味のないことを言い合ったり。彼女はいつものように感情が忙しくて、俺はいつものようにぼんやりしていた。

覚えているのは、2つ並んだみかんゼリーを、2人で食べたことだ。

ひとつずつ。東屋のベンチに並んで座って。


あの日、彼女が泣きながら食べていたのと同じみかんゼリー。俺が山を思い出すきっかけになった、あのみかんゼリー。コンビニで百何十円かの、何の変哲もないみかんゼリー。


旨かった。


泣きながら食べたからかもしれないし、隣に彼女がいたからかもしれない。理由はわからない。ただ、あの味だけは今でもはっきり覚えている。


山を降りて、駐車場まで歩いた。彼女は俺の腕に自分の腕を絡ませてきた。いつもの距離感。半歩どころか、隙間がない。


「ネェ」

「ん?」

「ワタシタチ、コレカラ、ドウスルノ?」


これから、どうするの。

現実的な問題は山ほどあった。ビザのこと。手続きのこと。住む場所のこと。彼女の仕事のこと。俺の仕事のこと。両方の家族のこと。何から手をつけていいのかすらわからない。


「……1個ずつやるしかないだろ」

「イッコズツ?」

「わん、ばい、わん」

「ワンバイワン。OK」


彼女は頷いた。不安そうな顔はしていなかった。


「ダイジョウブ。ワタシタチ、みかんゼリーカラ、ハジマッタ。ナンデモ、デキル」


大丈夫。私たち、みかんゼリーから始まった。なんでもできる。

——いや、理屈としてはまったく繋がっていないんだが、不思議と説得力があった。みかんゼリーから始まったから何でもできる。意味がわからない。だけど、この人が言うと、そうかもしれないと思えてしまう。ずるい。


それからのことは、駆け足で話す。


ビザの問題は、調べてみれば道がないわけじゃなかった。制度は複雑だし、期限まで本当にギリギリだったが、ひとつずつ紐解いていけば、ちゃんと手順はあった。俺たちは何度も役所に足を運び、書類を集め、窓口で説明を受けた。彼女の日本語力がここで活きた。半年前とは別人みたいに、難しい単語も聞き取れるようになっていた。


俺のほうも、少しだけ変わった。


会社に事情を話した。今まで自分のことを職場で話すなんて考えられなかったが、覚悟を決めて上司に言った。結婚すること。相手が外国人であること。手続きのために休みが必要になるかもしれないこと。

上司は少し驚いていたが、最後には「おめでとう」と言ってくれた。あの職場にも、まともな人間はいたんだな——なんて言ったら怒られるか。


彼女の家族には、電話で報告したそうだ。俺はその場にいたが、彼女の母国語はさっぱりわからないので、彼女の表情だけを見ていた。最初は緊張していたが、途中から笑顔になった。電話を切った後、「ママ、ナイテタ」と言っていた。嬉しくて泣いていたのか、心配で泣いていたのか。たぶん、両方だろう。


俺の家族にも話した。これについては——まあ、いろいろあった。いろいろあったが、最終的には受け入れてもらえた。大変だったけどな。詳しいことは言わない。恥ずかしいだろ。


ひとつだけ言えるのは、どの問題も「1個ずつ」確実に進めていったら、少しずつ片付いていったということだ。魔法みたいに一気に解決したわけじゃない。結果的には、すべてが落ち着くまで何ヶ月もかかった。面倒な手続き、すれ違い、不安の夜。全部あった。

だけど、全部乗り越えた。2人で。


——さて。


本当に聞きたいのは、「今どうなっているのか」だろう。


それは言わない。


俺たちの「今」は、俺たちだけのものだからだ。

出会いの話は面白い。みかんゼリーの話は笑える。プロポーズの話は泣ける。酒の席で話せば盛り上がるし、こうやって誰かに聞いてもらうこともできる。


だけど、「今」は違う。毎日の暮らしの中にある小さなこと。朝の会話。夜の沈黙。笑うこと。怒ること。たまにぶつかること。それでも隣にいること。そういう、物語にならないような日常のひとつひとつが、俺たちの「今」だ。

それを他人に見せる必要はない。


ただ、冷蔵庫の中に、みかんゼリーが常備されるようになった。

それだけは言っておく。


……おっと、もうこんな時間か。長話に付き合わせて悪かったな。


なあ、最後にひとつだけ聞いてくれるか。

人生ってのは、たまに信じられないことが起こる。仕事に疲れ果てた男が、久しぶりに山に行って、東屋でみかんゼリーを出したら外国人の女に怒鳴られる——なんて、誰が想像する?


俺は思うんだ。もしあの日、有給休暇を取らなかったら。もしみかんゼリーを買わなかったら。もし彼女があの東屋に来なかったら。もし俺が「のー」と言い続けていたら。

どれかひとつでも欠けていたら、この話は存在しない。


偶然だよ。全部、偶然だ。


——だけど、偶然を偶然のままにしなかったのは、俺たちだ。


彼女が勇気を出して声をかけた。俺がみかんゼリーを渡した。彼女がお礼を口実に連絡先を交換した。俺がOKと返した。カタコトの英語で語り合った。すれ違った。離れた。それでも同じ場所に戻ってきた。

偶然が扉を開けて、意志がその先に進ませた。


だから、もしお前の人生にも、みかんゼリーみたいなものが転がり込んできたら——笑うなよ、真面目に言ってんだ——そのとき、手を伸ばしてみてくれ。

くだらないものほど、人生を変えることがある。


……おい、グラスが空じゃないか。次は何を飲む?今日は俺の奢りだ。みかんゼリーみたいな、甘酸っぱい酒にするか?


俺は、そろそろ帰るよ。

——ああ、大丈夫だ。1人で帰るんじゃない。

ほら、隣に、いるからさ。

—— 完 ——

出会いのきっかけは、みかんゼリー。

なかなか、面白いきっかけだろ?


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