変換についての覚え書き 前編

短編物語

変換についての覚え書き 前編

——あるいは、佐伯マコトの最悪な一日について

佐伯マコトが総務部に異動して三ヶ月、ようやくわかったことがある。

このパソコンのIMEは、敵だ。

その日の朝イチ、部長への確認メールを打った。

確認は今日したいです 確認は今日死体です

送信ボタンを押してから、送信済みフォルダを開いて凍りついた。

——は?

慌てて取り消そうとしたが遅い。部長の席から低い声が飛んできた。

「佐伯くん。……死体って何?」
「違います、変換ミスです!!」

課内の視線が突き刺さる。朝九時六分。一日の終わりを祈るには早すぎる時間だった。

気を取り直して、会議用の資料を添付する。

件名——資料を見て。打った。変換した。確認した——つもりだった。

資料を見て 死霊を診て

部長がパソコンの画面を二度見しているのが、パーティションの隙間から見えた。

「佐伯くん」
「変換ミスです!!」

二度目ともなると、もう課内に笑いが漏れている。隣の席の後藤さんが「憑かれてんじゃない?」と小声で言ったのは、たぶん「疲れてんじゃない?」の意味だったと信じたい。

*  *  *

昼休み、唯一の味方である同期の片桐にメッセージを送った。

今日は眼科——午後休を取って眼科に行く、という報告。ただそれだけのはずだった。

今日は眼科 今日はガン化

片桐から鬼のような速度で電話がかかってきた。

「おまえ何がガン化したの!? どこ!?」
「目です——いや何もガン化してない!! 眼科! 眼科に行くって打っただけ!!」

電話の向こうで片桐が絶句したあと、腹を抱えて笑い始めるのが聞こえた。こっちは笑えない。

*  *  *

翌日。もう打つのが怖い。

しかし仕事は待ってくれない。

全部署に回す在庫報告書を作っている。

全部署分 全部処分

——全部処分。在庫を。全部。処分。

「ちがーーーう!」

と叫んだときにはもう、経理の山田さんから内線が鳴っていた。

「佐伯さん、全部処分ってどういうこと? 本部に確認取ったの?」
「取ってません! 変換ミスです!」

このパソコンは確実に、自分を辞めさせにきている。佐伯は確信した。

*  *  *

定時間際。最後のメール。

今日の作業完了を報告するだけだ。もう何も難しいことは書かない。一文字一文字、確認しながら打つ。

公開完了。——よし。今度こそ大丈夫だ。

送信。

五秒後、自分のメールを開き直した佐伯の目に映ったもの。

公開完了 効果移管料

何の効果で、何を移管して、いくらかかるのか。自分でもまったくわからない文字列が、部長のもとへ飛んでいった。

*  *  *

帰り道、片桐と駅前の居酒屋に寄った。

ビールを半分あけたところで、片桐が言った。

「おまえのパソコンってさ、もはや素人判断じゃ直せないレベルじゃない? システム課に出しなよ」

佐伯は遠い目をした。

「……四郎と判断、って変換されたらどうしよう」
「誰だよ四郎」

片桐がまた笑い出す。つられて佐伯も笑った。

笑いながら、スマホでカレンダーを開く。明日の予定を確認しようとして、画面に浮かんだ文字を見て手が止まった。

カレンダー——ではなく、

カレンダー 可憐だー

佐伯は静かにスマホを裏返して、テーブルに置いた。

「……もう、何も打ちたくない」

居酒屋の喧騒の中、ジョッキのビールだけが静かに泡を弾いていた。

[https://you-takai.com/henkan-part1/]

コメント

タイトルとURLをコピーしました