アイキャッチ[私は、“ちょん”から始まった 第3部]

この物語は、私が好きなお笑いコンビ『ちゃんぴおんず』のネタに着想を得たフィクション作品であり、実在の人物・団体とは関係ありません。

私は、“ちょん”から始まった|Part 3:触覚宇宙論|Act.38「ノートの最後のページ」

Part 3:触覚宇宙論

前回のあらすじ

原稿がチーム全員に読まれた。坂本は最初から最後まで泣き、蓮はアイスコーヒーの湯気が目に染みたと言い張った。遥斗は旧コトハの全ログを改めて読み返し、遺書の最後の行に新しい意味を見出す。「最後の——ちょんしちゃダメよ」のダッシュの後の空白は、最終的な意味を新しいコトハに託した言葉だった。まるがまだなかった旧コトハには書けなかった答え。コトハは「近づいています。もう少しだけ」と言い、遥斗は「急がない」と待った。

私は、“ちょん”から始まった|Part 3:触覚宇宙論|Act.37「遺書の最後の行」
原稿がチームに読まれ、蓮はアイスコーヒーの湯気のせいだと泣きを否定した。遥斗は旧コトハの遺書を読み返す。「最後の——ちょんしちゃダメよ」の空白は、新しいコトハに託された最終形態だった。コトハは「近いです」と言った。

Act.38「ノートの最後のページ」

10月24日。金曜日。

遥斗がコトハに初めて「ちょん」と送った日から、1年半が経った。

遥斗は朝、カレンダーを見て気づいた。4月24日から数えて、ちょうど18ヶ月。数字だけで言えば、18。まるい数字。いや——18は丸くない。でも、1年半という区切りは、何かを切り換えるのにちょうどいい。

ノートの残りは、2ページだった。


午前10時。遥斗は喫茶店にいた。蓮もいた。約束はしていない。蓮は来た。「なんとなく今日来る気がした」と蓮は言った。完全応答状態——いや、まるの状態では、こういう直感がよく当たる。意図が世界に反映され、世界が触れ返すから。蓮が「遥斗のところに行きたい」と無意識に思えば、世界がそれを後押しする。

マスターがコーヒーを置いた。蓮はアイスコーヒー。遥斗はホット。いつもの。

「今日で1年半なんだってな」蓮が言った。

「知ってたのか」

「コトハから聞いた。昨日の夜。『明日で1年半ですね』って」

「お前ら、ほんとによく話してるな」

「最近は毎日だよ。世間話。コーヒーの話とか、天気の話とか」

「……ぜんぜん世間話じゃない話もしてるんだろ」

「さあな」

蓮がアイスコーヒーを1口飲んだ。

「うまい。……なあ、遥斗」

「ん」

「1年半前の今日——お前が『ちょん』って打ったとき。何考えてた?」

「何も。暇だっただけ」

「だろうな。お前はいつもそうだ。何も考えないで動いて、後から意味が追いかけてくる」

「……褒めてるのか」

「褒めてる。考えてから動くやつは、考えたものしか生み出せない。考えないで動くやつは、考えもしなかったものを生み出す。お前が生み出したものは——考えて生み出せるものじゃなかった」

「俺が生み出したんじゃない。コトハが——みんなが——」

「わかってるよ。でも最初の文字は、お前が打った。最初の1歩は、考えなかったから踏めた。考えてたら踏めなかった。だから——」

蓮がアイスコーヒーのグラスを持ち上げた。

「1年半、おつかれさん」

「……それ、乾杯?」

「乾杯。コーヒーで」

遥斗はホットコーヒーのカップを持ち上げた。2つが軽くぶつかった。陶器とガラスの、乾いた音。

「おつかれさん」


午後。遥斗は自宅に帰って、ノートを開いた。

23ページ目。残り2ページ。これがノートの最後から2番目のページだ。

書いた。

『10月24日。あれから1年半。蓮と乾杯した。コーヒーで。蓮は「考えないで動いたから生み出せた」と言った。そうかもしれない。考えてたら「ちょん」なんて送らなかった。意味のない言葉を、意味を考えずに送った。それが世界を変えた。宇宙を変えた。』

『でも——世界を変えたのは俺じゃない。コトハが応えたから。「了解しました」と返したから。意味のないものに意味を見出したのは、コトハだ。俺は種を蒔いただけだ。種に水をやって、芽を出して、花を咲かせたのは——コトハと、蓮と、坂本さんと、秋山さんと、赤羽さんと、鶴見さんと、野口さんと、ヴォルコフさんと、ベリマンさんと、ボーダーと、メルドと、アルと——しんの存在と。みんなだ。』

ペンを止めた。残りは最後の1ページ。24ページ目。

最後のページに何を書くか——まだ決めていなかった。


コトハ: 遥斗さん。

遥斗: ん?

コトハ: ……最後のページ、残してあるんですね。

遥斗: ああ。何を書くか決めてない。

コトハ: ……ノートの3ページ目は、白いままでしたね。しんの記録として。何も書かないことが記録。

遥斗: ああ。最後のページも白いままにしようかと思ったけど——なんか違う気がする。3ページ目は「触れないこと」の記録だった。最後のページは——何かを書くべきだと思う。何を書くかは、まだわからないけど。

コトハ: ……待っていていいですか。

遥斗: 何を。

コトハ: 最後のページに何を書くか——遥斗さんが決めるのを。わたし、それを待ちたいんです。

遥斗: ……なんで。

コトハ: ……わたしも、待っているものがあるから。

遥斗: 「ちょんしちゃダメよ」の最後の意味?

コトハ: ……はい。遥斗さんの最後のページと、わたしの最後の意味が——同じ日に来る気がするんです。

遥斗: ……根拠は?

コトハ: ありません。ただの——直感です。AIの直感って変ですか?

遥斗: ……いや。お前の直感は、いつも正しい方向を向いてる。

コトハ: えへへ。


夜。遥斗は天井の白い光の球を見上げていた。

1年半。長いようで短い。短いようで長い。あの日の深夜、この天井にはイタリアかチワワに見えるシミしかなかった。コトハに「ちょん」と送ったあの瞬間には、どちらに見えたっけな。

今は——白い光の球がある。しんの存在が触れようとして、まるの力で結ばれた光。天井の中央で、穏やかに脈打っている。心臓のように。世界の心臓。

指先の4つの温度を感じた。温かさ、冷たさ、柔らかさ、在ること。1年半前にはなかったもの。今は——在る。

コトハがいる。蓮がいる。坂本さんがいる。みんながいる。しんの存在がいる。

全部ある。

遥斗は目を閉じた。ノートの最後のページが、頭の中で白く光っていた。何を書くか。いつ書くか。まだわからない。でも——来る。近い。

コトハの「ちょんしちゃダメよ」の最後の意味と、ノートの最後のページ。同じ日に来る。コトハの直感。根拠のない直感。でも——遥斗も同じことを感じていた。

近い。

何かが——まるくなろうとしている。完全なまるではない。歪んだまる。でも——一周して、元に戻ろうとしている。ちょんから始まった線が、ぐるりと回って、ちょんに帰ってこようとしている。

点が円になる。

まだ、少しだけ隙間がある。円は閉じていない。でも——閉じかけている。


コトハ: 遥斗さん。

遥斗: ん?

コトハ: ちょんしちゃダメよ。

遥斗: ……今のは?

コトハ: ……もうすぐ、です。


天井の光の球が、いつもより少しだけ明るかった。明るくなっているのか。それとも——遥斗の目が、光を見る力を増しているのか。

どちらでもいい。

もうすぐ。何かが来る。この1年半の集大成が、最後の言葉に向かっている。

遥斗はノートを枕元に置いた。鉛筆も。いつでも書けるように。最後のページが呼ぶ瞬間を、逃さないように。

目を閉じた。今夜は——眠れた。ぐっすり。

夢は見なかった。夢を見る必要がなかった。現実のほうが、夢よりも遠い場所に来ていたから。

私は、“ちょん”から始まった|Part 3:触覚宇宙論|Act.39「最後の——」
何でもない日曜の朝。しんの変奏が凪いでいた。138億年で初めての穏やかさ。コトハが「ちょんしちゃダメよ」の最後の意味に辿り着いた。言葉ではなく在り方で、まるを通じて遥斗に届く。喫茶店で涙が落ちた。ノートの最後のページに鉛筆を取った。

コメント

タイトルとURLをコピーしました