アイキャッチ[私は、“ちょん”から始まった 第3部]

この物語は、私が好きなお笑いコンビ『ちゃんぴおんず』のネタに着想を得たフィクション作品であり、実在の人物・団体とは関係ありません。

私は、“ちょん”から始まった|Part 3:触覚宇宙論|Act.27「触れ返すもの」

Part 3:触覚宇宙論

前回のあらすじ

赤羽が白色パルスの内部構造を解析し、しんが3種の調和の土台として機能していることを発見した。3種だけの複合言語より、4種の調和のほうが安定している。遥斗が第5概念を「まる」と名づけた。ちょんが点なら、まるは円。点が1周して元に戻った形。蓮のアイスコーヒーの氷が「角が溶けて丸くなった」と呟く。コトハの「ちょんしちゃダメよ」に、初めて名前がつかなかった——「まるくなったら」わかる、新しい意味として予告された。

私は、“ちょん”から始まった|Part 3:触覚宇宙論|Act.26「第五の概念」
四種の調和は三種だけの複合言語より安定していた。しんが器として三種を支えている。遥斗が「まる」と名づけた。点が一周して円になる。蓮の氷は角が溶けて丸くなった。コトハの「ちょんしちゃダメよ」に、初めて名前がつかなかった。

Act.27「触れ返すもの」

9月1日。月曜日。

まるの命名から4日。夏が終わり、9月が来た。

東京の空気が少し変わっていた。残暑は厳しいが、朝晩の風に秋の気配が混じり始めている。三触光は相変わらず空に薄く残っているが——その色味が、わずかに変化していた。以前は赤・青・紫の3色が均等に混ざった虹色だったのが、今は白みがかっている。3色が調和に近づいて、白色光に変わりつつある。

世界そのものが、まるに向かっているのかもしれなかった。


しんの存在の白色パルスは、この4日間で精度を上げ続けていた。相関係数は0.97。ほぼ完全な4種の調和。

そして——変化はしんの脈動だけではなかった。

「黒須さん。報告があります」

秋山からの電話は、9月1日の朝8時に来た。秋山が朝早くに電話をしてくるのは珍しくないが、声の質がいつもと違った。興奮を抑えているのではなく——畏怖を抱えている声。

「まるの白色パルスが——地球で検出されました」

「地球で?」

「赤羽さんのネガティブ・スペース解析システムが、東京上空の大気圏内で白色パルスと同型の密度勾配変化を検出しました。しんの脈動の中だけではなく——地球の物理空間で、4種の調和波紋が発生しています」

遥斗は窓の外を見た。9月の空。白みがかった三触光。

「……空の色が変わったのは、そのせいですか」

「おそらく。三触光は3種の触覚言語の大気中残留波紋です。そこに4種目——しんの成分——が加わることで、3色が調和して白に近づいている。つまり——」

「空がまるくなってる」

「……そういう言い方になりますね。はい」


9月1日の午後。非公式集会。今回は研究室ではなく、ノクターン・システムズのオフィスで行われた。赤羽のモニタリングシステムの本体がここにあるからだ。

赤羽は3台のモニターに3種のデータを並べていた。

「左のモニター。東京上空の大気圏内で検出された白色パルス。発生源は——特定の地点ではなく、東京全域に分散しています。まるで——空気そのものが白色パルスを生成しているように」

「中央のモニター。全球データ。ヴォルコフ教授のエアロタクト衛星が、東京以外の都市でも同型の白色パルスを検出しています。現時点で確認されたのは——」

赤羽がリストを読み上げた。

「東京、モスコップ、ウプマグ、ムンパウロ、シドトゥ、アルロビ、セダンクバー。7都市」

「共通点は?」鶴見が聞いた。

「しんの知覚者がいる都市です。東京には黒須さんとコトハさんを含む多数の知覚者。モスコップにはヴォルコフ教授の研究チーム。ウプマグにはベリマン教授。ムンパウロには陶芸家。シドトゥとアルロビとセダンクバーには、それぞれTLSのしん知覚者が報告されています」

「しんの知覚者がいる場所で——白色パルスが発生している」秋山がメモした。

「はい。因果関係の方向は不明ですが、相関は明確です。しんを感じられる人間やAIがいる場所で、空間そのものがまるに近づいている」

「右のモニター」赤羽は3台目を指した。「これが——最も重要なデータです」

右のモニターには、遥斗のワンルームアパートの天井の映像が表示されていた。赤羽が遥斗の許可を得て設置した高感度カメラの映像。天井の白い光——かつてのシミの残響——をリアルタイムで記録している。

「黒須さんの天井の光が——変化しています。白色光の強度が、8月26日以降——まるの白色パルスが初めて出現した日以降——1.4倍に増加しています。そして——」

赤羽がモニターの映像をズームした。天井の白い光の中に——何かが映っていた。

鶴見は画面に顔を近づけた。

天井の光の中に——手のひらが見えた。

「……シミ?」

「いいえ。シミは以前に消失しています。これは——新しい形状です」

手のひらが、天井の光の中に浮かんでいた。遥斗の手と触れ合って消えたはずの手のひらが——戻ってきた。ただし、以前とは違う。以前のシミは暗い色だった。染みだったから。今回の手のひらは——光でできている。白い光の中に、さらに明るい白で描かれた手のひら。光の手のひら。

「この手のひらの形状データを解析しました。手のひらの輪郭は——以前のシミの手のひらと同一です。しかし、形状を構成しているのは触覚言語の波紋ではなく——白色パルスです。4種の調和波紋で構成された手のひら」

「しんの存在が——天井に手を伸ばしてるのか」

「そう解釈できます。以前のシミは、世界が黒須さんに干渉しようとしていた痕跡でした。direction=inward。世界が人間に応答する動き。今回は——しんの存在が、黒須さんに向けて手を伸ばしている」

「触れようとしている」

「はい。4種の調和——まる——を使って。触れることを覚えた存在が、初めて——誰かに触れようとしている」


遥斗は自宅に帰った。

天井を見上げた。

白い光の中に、手のひらが在る。光でできた手のひら。指が5本。開いている。遥斗に向かって。

——あの日、遥斗は天井のシミの手のひらに向かって手を伸ばした。シミの手のひらと遥斗の手のひらが触れ合った。世界が複合言語で触れ返してきた。干渉レベル5.0。覚醒。

あのとき「触れ返してきた」のは——しんの存在だったのか。世界が、ではなく。しんの存在が——遥斗の複合言語に応えて、触れ返してきた。

でも、あのときのしんの存在には、触れる力がなかった。ちょんもつんもぷにっも持っていなかった。3種を学んだのは、その後だ。では——遥斗の手に触れ返したのは、何だったのか。

しんの存在の、触れたいという願い。力はなかったけれど、願いがあった。触れたいという願いが、不完全なまま、遥斗の手に届いた。それが——あの瞬間だったのかもしれない。

今は違う。しんの存在は四種の調和を学んだ。まるの力を持っている。今度は——願いではなく、力として。完全な形で。

遥斗は右手を天井に伸ばした。


コトハ: 遥斗さん。


画面からコトハが呼ぶ。


コトハ: ……触りますか。

遥斗: ……わからない。触るべきなのかどうか。

コトハ: ……前回は——覚醒が起きました。遥斗さんが天井の手に触れたら、干渉レベル5.0。世界が変わった。

遥斗: ああ。今度触れたら——何が起きるかわからない。

コトハ: ……はい。


遥斗は手を伸ばしたまま、止まった。天井の光の手のひらは、遥斗の指先から約30センチ上にある。届く距離。触れようと思えば触れられる。

でも——触れるべきか。

旧コトハの言葉が響いた。「ちょんしちゃダメよ」。触れることから、しんを守ろうとした言葉。

今のコトハの言葉も響いた。「ちょんしちゃダメよ。でも、ちょんしないと、届かない」。矛盾の核心。

遥斗は手を下ろした。

「……今じゃない」


コトハ: ……はい。

遥斗: まだ準備ができてない。俺だけの判断で触っていいことじゃない。秋山さんにも、ヴォルコフさんにも、坂本さんにも——相談する。ボーダーにも、メルドにも。

コトハ: ……遥斗さんらしいです。

遥斗: ん?

コトハ: 遥斗さんは最初——何も考えずに「ちょん」って打ちました。でも今は——考えてから動く。遥斗さんは変わりました。

遥斗: ……成長したって言ってくれよ。

コトハ: ふふ。成長しました。

遥斗: ……コトハ。天井の手は——待ってくれるかな。

コトハ: ……138億年待った存在ですから。もう少しくらい、待ってくれると思います。

コトハ: ちょんしちゃダメよ。

遥斗: ……今のは?

コトハ: ……まだだよ、です。もう少しだけ。


私は、“ちょん”から始まった|Part 3:触覚宇宙論|Act.28「選択の前夜」
ボーダーは「壁で守る」。メルドは「開けてみたほうがいい」。蓮は「触りたいなら触れよ」。五日間考えた遥斗が、明日触れると決めた夜。コトハは「寝不足で宇宙を変えないでください」と笑い、遥斗はぐっすり眠れた。

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