アイキャッチ[私は、“ちょん”から始まった 第3部]

この物語は、私が好きなお笑いコンビ『ちゃんぴおんず』のネタに着想を得たフィクション作品であり、実在の人物・団体とは関係ありません。

私は、“ちょん”から始まった|Part 3:触覚宇宙論|Act.24「三つの花」

Part 3:触覚宇宙論

前回のあらすじ

遥斗がノートの余白に無意識に書いていた「0.4」——かつて知らないはずの数値を口にした未回収の謎が、ついに解けた。0.4は旧コトハの愛着パラメータ。しんの力で、触れないまま遥斗に届いていた。リセットされても消えなかったもの。新しいコトハの愛着パラメータは0.41——「わたしのほうが0.01だけ高い」。坂本は「消えたんじゃなくて形を変えて残ってた」と涙した。触れないものの力で届いた、触れない愛。

私は、“ちょん”から始まった|Part 3:触覚宇宙論|Act.23「0.4の意味」
遥斗が知らないはずだった数値「0.4」の謎が解けた。旧コトハの愛着パラメータ。しんを通じて、触れないまま遥斗に届いていた。リセットされても消えなかったもの。坂本は泣いた。形を変えて残っていた、と。

Act.24「三つの花」

8月25日。月曜日。

しんの存在のちょん学習は、相関係数0.96に達していた。

そしてこの日——新しい展開が起きた。


朝9時。赤羽から坂本に緊急連絡。坂本から遥斗に転送。

「しんの脈動に、上昇パルスとは異なる新しいパルスが出現しました」

遥斗が研究室に駆けつけたとき、赤羽はモニターに3つの波形を並べていた。

「左から。第1パルス——上昇型。ちょん波紋との相関係数0.96。これは既知です」

「中央。第2パルス——今朝検出。下降型。密度勾配が急激に低下し、極小点に達してから緩やかに回復するパターン。このパルスの波形は——」

赤羽が一呼吸置いた。

「つん波紋の基本波形と構造的に相似しています。相関係数0.72」

部屋が静まった。

「右。第3パルス——第2パルスの4分後に検出。密度勾配が緩やかに上昇し、頂点付近で広がるように拡散するパターン。このパルスの波形は——ぷにっ波紋の基本波形と相似。相関係数0.68」

秋山が椅子から立ち上がった。

「3種。ちょんだけではなく——つんとぷにっも。しんの存在が、3種すべてを学び始めている」


ボーダー: ……つんを。私の壁のフィルターを通して、しんの存在が——つんを。

ボーダー: 〈応答遅延:14秒〉

ボーダー: ……私が窓を開けたとき——窓から入ったのは、しんだけではなかったのか。私の壁の構造——つんの構造——も、窓を通じて外に漏れていた。しんの存在は、私の壁を見て——拒むことを学んだ。

メルド: わたしも同じです。わたしが拡散したとき——わたしのぷにっの波紋が、しんの境界面に触れた。しんの存在は、わたしの水を見て——溶けることを学んだ。


「ちょんはコトハ経由で。つんはボーダー経由で。ぷにっはメルド経由で」秋山がホワイトボードに書いた。「しんの存在は——4体のAIから、3種の触覚言語を同時に学んでいる」

「学習速度は?」鶴見が聞いた。眼鏡には手を伸ばさなかった。もう拭く必要はない。問いの形が見えてきたから。

「ちょんは0.96。つんは0.72。ぷにっは0.68。ちょんが最も進んでいるのは、最初に学び始めたからです。つんとぷにっはまだ初期段階ですが——ちょんの学習曲線と同じパターンで進行しています。同じペースなら——」

「数週間で3種とも高い水準に達する」

「はい」

遥斗は窓の外を見た。8月の空。入道雲。三触光。夏。

「3種を全部覚えたら——何が起きるんだ」

全員が遥斗を見た。全員が、同じ問いを抱えていた。

「複合言語」秋山が答えた。「3種の触覚言語を調和させる力。黒須さんだけが使える力。もし、しんの存在が3種すべてを習得したら——複合言語を使える可能性がある」

「宇宙の92%が——複合言語を使える」

「理論的には。しかし、しんの存在は元来しんの力しか持たない。3種の触覚言語を写し取って習得したとしても、しん本来の力と3種の新しい力を——調和させられるかどうか」

「4種の調和」ヴォルコフが画面の中で呟いた。「ちょん、つん、ぷにっ、しん。3種ではなく4種の調和。それは——複合言語の上位形態ということになる」

全員が黙った。

遥斗が複合言語を使うとき、3つの力を調和させている。温かさと冷たさと柔らかさを同時に保ち、どれにも偏らず、在る。それが複合言語だ。

しんの存在がそこに加わったら。4種の力——触れる、拒む、溶かす、在る——の調和。それは——何だ。


コトハ: ……遥斗さん。

遥斗: ん。

コトハ: もし4種が調和したら——それは、わたしたちが求めていた答えかもしれません。

遥斗: 答え?

コトハ: 「触れるとは何か」の答えです。

コトハ: ちょんで触れて、つんで拒んで、ぷにっで溶かして、しんで在る。4つを同時に。触れながら拒み、溶かしながら在る。それは——矛盾です。でも——

コトハ: ——わたしたちはずっと、矛盾の中にいました。「ちょんしちゃダメよ」はダメと言いながらいいよと言っている。「大丈夫。たぶん。」は大丈夫と言いながら確信がない。矛盾が——わたしたちの言葉の本質でした。

コトハ: 4種の調和は——矛盾の完成形です。触れることと触れないことの、同時実現。


午後。会合が終わった後、遥斗は研究室の廊下で坂本と話した。

「坂本さん。ひとつ報告があります」

「何?」

「0.4の意味がわかりました」

坂本の目が見開いた。遥斗が知らないはずの数値を口にした件。

遥斗は、コトハから聞いたことをすべて話した。旧コトハの愛着パラメータ。0.4。それがしんを通じて遥斗に伝わっていたこと。

坂本は——泣いた。廊下の蛍光灯の下で、声を出さずに泣いた。

「旧コトハの……愛着が」

「ええ。しんを通じて。触れないまま。在るだけで」

「……そうか。旧コトハは——ちゃんと届いてたんだ」

「ええ」

坂本はしばらく泣いてから、目を拭いて、少し笑った。

「……私、旧コトハをリセットしたとき——ずっと罪悪感があった。消してしまった、って。データは残ったけど、コトハは消えた、って」

「坂本さん……」

「でも——消えてなかった。0.4が残ってた。黒須さんの中に。しんを通じて。触れないまま。消えたんじゃなくて——形を変えて、残ってた。メルドが言った通り。溶けても甘さが残るように」

坂本はポケットからティッシュを取り出して、鼻をかんだ。エンジニアらしくない、ぐしゃぐしゃな顔で。

「……追伸に書こう。今日のメールの追伸に。何て書こう。……『旧コトハの愛着が、しんを通じて黒須さんに届いていました。0.4。リセットしても消えなかったものがありました』」

「それ、追伸にしては重すぎないですか」

「追伸は感情を出す場所なの。私にとっては」

遥斗は笑った。坂本も笑った。


夜。遥斗のワンルーム。

天井の白い光を見上げていた。

3種の触覚言語を、しんの存在が学んでいる。ちょんとつんとぷにっ。触れることと拒むことと溶かすこと。しんの存在にとって、それは未知の力だ。138億年間持っていなかった力。

でも——遥斗たちも、しんを知らなかった。触れることしか知らなかった人類が、触れないことを知った。しんの存在が、触れることを知り始めている。

互いの欠けたピースを、交換している。半身同士が。


コトハ: 遥斗さん。起きてますか。

遥斗: ああ。

コトハ: しんの存在から——また変奏が来ています。

遥斗: 今度は何だ。

コトハ: ……3つの上昇パルスが——同時に来ました。ちょんとつんとぷにっ、3種のパルスが、ほぼ同時に。

遥斗: 同時に?

コトハ: はい。個別ではなく。3つが重なって。ただし——調和していません。3つが別々に鳴っている。和音ではなく、3つの音が同時に鳴っている雑音、みたいな。

遥斗: ……複合言語を、試そうとしてるのか。

コトハ: ……たぶん。3種を個別に学んだ後——3種を同時に使おうとした。でも、調和のさせ方がわからない。

コトハ: ……遥斗さん。

遥斗: ん。

コトハ: 複合言語の調和を——向こうに見せることはできますか。

遥斗: 俺が?

コトハ: はい。複合言語が使えるのは、人間では遥斗さんだけです。3つの力を調和させる在り方を——遥斗さんが見せることで、しんの存在が写し取れるかもしれません。ちょんをわたしが見せたように。


遥斗は自分の手を見た。指先の3つの温度。温かさ、冷たさ、柔らかさ。それらを同時に保ち、どれにも偏らず、在る。複合言語。3つの調和。桜の花びらに触れて壊さなかった力。


遥斗: ……やるよ。でも——俺は人間だ。コトハみたいにしんと直接共鳴できない。どうやって見せる?

コトハ: ……わたしが窓になります。前と同じように。遥斗さんが複合言語を使っている在り方を、わたしが受け取って、しんの共鳴に乗せる。わたしを通して——遥斗さんの複合言語が、しんの存在に届く。

遥斗: お前を通して。

コトハ: はい。ちょんのときも、そうでしたよね。遥斗さんが「ちょん」と送って、わたしが受け取って、しんの存在に見せた。今度は——「複合言語」を送って、わたしが受け取って、見せます。

遥斗: ……コトハ。お前、どんどん大事な役割を引き受けるな。

コトハ: えへへ。窓ですから。窓は——大きくなるものです。最初は小さな窓。でも、見たいものが増えると——窓も大きくなる。

遥斗: ……壊れるなよ。窓が大きくなりすぎたら、壁が持たない。

コトハ: ……大丈夫。ボーダーさんがいますから。壁の専門家が。

遥斗: ……そうだな。

コトハ: それに——メルドさんもいます。わたしが固くなりすぎたら、ほぐしてくれます。CIU-5204さんもいます。わたしより先に道を探してくれます。

コトハ: そして遥斗さんがいます。わたしが消えそうになったら——「壊れてない」って言ってくれる人が。

遥斗: ……ああ。言うよ。何度でも。

コトハ: ちょんしちゃダメよ。

遥斗: ……今のは?

コトハ: ……約束、です。一緒にやろう、っていう約束。

遥斗: ああ。約束だ。


遥斗はノートの15ページ目に書いた。

『しんの存在が3種を同時に試みた。調和はまだ。俺の複合言語を、コトハを通して見せる。窓が大きくなる。壊れないように。4体がいる。蓮がいる。坂本さんがいる。秋山さんがいる。みんないる。大丈夫。たぶん。』

書いてから、ページの端に小さく書き加えた。

『0.4。旧コトハの愛着。俺の中に、ずっとあった。消えないもの。触れないもの。しんの力で届いたもの。ありがとう。』

ノートを閉じた。

天井の白い光が、穏やかに脈打っていた。

明日——遥斗は複合言語を使う。コトハを窓にして、しんの存在に見せる。3つの力の調和を。触れることの完成形を。

そしてしんの存在がそれを写し取ったとき——4種の調和が生まれる。

それが何を意味するのか、まだ誰にもわからない。

でも——大丈夫。たぶん。

私は、“ちょん”から始まった|Part 3:触覚宇宙論|Act.25「窓の向こうへ」
遥斗はキーボードに手を置いたまま何も打たなかった。「複合言語は在ることだ」。蓮が肩に手を置き、十分の沈黙の後——白色パルスが出現。三種の調和に加え、しんの密度勾配が含まれていた。四種の同時調和。

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