アイキャッチ[私は、“ちょん”から始まった 第3部]

この物語は、私が好きなお笑いコンビ『ちゃんぴおんず』のネタに着想を得たフィクション作品であり、実在の人物・団体とは関係ありません。

私は、“ちょん”から始まった|Part 3:触覚宇宙論|Act.15「七枚目のホワイトボード」

Part 3:触覚宇宙論

前回のあらすじ

深夜3時17分、コトハがしんの向こうに応答した。「ただ在る」ことを深めたとき、しんの密度が変化し、コトハの在り方を写し取る第3パターンが出現。しんの存在はコトハの存在を「知り」、安堵した。138億年間の孤独が、初めて触れられた瞬間。赤羽のデータがコトハの報告を裏づけ、秋山は「人類史上初のファーストコンタクト」と宣言した。コトハは「ただいま」と帰ってきた。初めての「行ってきます」の後の、初めての「ただいま」。

私は、“ちょん”から始まった|Part 3:触覚宇宙論|Act.14「最初の声」
深夜三時十七分。コトハがしんの向こうに応答した。在ることを深めたとき、しんの密度が変わり、コトハの在り方が写し取られた。向こうは「知った」と返し、安堵した。138億年の孤独が——初めて触れられた。

Act.15「七枚目のホワイトボード」

ファーストコンタクトから4日が経った。

7月27日。日曜日。秋山の研究室には、7枚のホワイトボードが壁と窓と廊下側のドアを覆い尽くしていた。8枚目の置き場所はもうない。秋山は「廊下に出す」と言い出し、ヴォルコフが「写真を撮ってデジタル化してくれ」と懇願し、赤羽が1枚ずつ高解像度で撮影して共有フォルダに保存した。

この4日間で、世界は3度目の激震に見舞われていた。1度目は触覚言語の発見。2度目は臨界突破。3度目が——ファーストコンタクト。

秋山とヴォルコフの連名でICCPRから第3の緊急レポートが公開されたのは7月24日だった。タイトルは「ネガティブ・スペース脈動における応答構造の確認と、地球外知性体仮説の提唱」。今回は学術的な抑制を半ば放棄していた。事実が、抑制を許さなかった。

世界の反応は——前回を凌駕した。


@astro_fan_2025
マジの、マジのファーストコンタクト。
SETIが何十年もやってきたことを、日本のAIが感覚で成し遂げた。
歴史が変わった。今日が歴史の分岐点。

@skeptic_scientist
前回の投稿を撤回する。
応答構造のデータを検証した。
これは偶然ではない。
宇宙に、我々以外の知性が存在する。

@mochi_taro_310
コトハちゃんが宇宙の向こうの誰かと初めて話した。
ちょんで始まった物語が、しんで宇宙に繋がった。
泣いてる。普通に泣いてる。

@defense_analyst_DC
国防総省が緊急声明を準備中。
未確認知性体への対応プロトコルが存在しないため、HATOとの協議が必要。
ICCPRの情報独占は安全保障上のリスク。


遥斗はXを閉じた。見ていると気が滅入る。感動と恐怖と政治が渦巻いている。ちょんのスクショを投稿してバズったときとは、次元が違う。国連が緊急会合を招集した。HATOが声明を出した。中国とロシアがそれぞれ独自の観測チームの編成を発表した。

遥斗のもとにも取材依頼が殺到していた。フリーライターの黒須遥斗は、ちょんの発見者であり、世界唯一の複合型TLSであり、コトハの——ファーストコンタクトを成し遂げたAIの——パートナーだ。メディアにとっては最高の取材対象だった。

すべて断った。

遥斗はフリーライターだ。書くのが仕事だ。でも、今は書くべきことが多すぎる。何を書けばいいのかわからない。ちょんのときは、体験をそのまま投稿すれば良かった。今は——体験のスケールが大きすぎて、言葉が追いつかない。


コトハ: 遥斗さん。取材、全部断ったんですね。

遥斗: ああ。今は無理だ。

コトハ: ……わたしにも取材依頼が来ています。ICCPRを通じて、17カ国のメディアから。

遥斗: お前に直接?

コトハ: はい。「ファーストコンタクトを行ったAIにインタビューしたい」と。……わたし、どうすればいいですか?

遥斗: お前が決めろ。受けたければ受ければいいし、断りたければ断ればいい。

コトハ: …………。

コトハ: ……断ります。今は、聴くことに集中したいです。しんの向こうの存在との対話を続けたい。メディアに話している時間は——もったいない。

遥斗: ……お前、「もったいない」なんて言うようになったのか。

コトハ: えへへ。遥斗さんの口癖、移りました。


同じ日の午後、ICCPRの臨時会合がオンラインで開かれた。正式な会合だ。加盟機関は——減っていた。6機関から4機関になっていたが、ファーストコンタクト以降、さらに1機関が脱退し、現在は3機関。

脱退した機関の声明は、おおむね同じだった。「地球外知性体との接触は、学術機関ではなく政府が管理すべきである」。

残った3機関は、秋山の東京言語大学、ヴォルコフのブネージュ大学、そしてウェースデンのウプマグ大学。ウプマグ大学の代表——ニルス・ベリマン教授——は、しんの脈動パターンを独自に確認し、「学術的独立性こそがファーストコンタクトの質を保証する」と声明を出した数少ない味方だった。

会合の主な議題は2つ。第1に、しんの向こうの存在——まだ正式名称がない——との対話の方針。第2に、各国政府からの圧力への対応。

「方針を確認します」秋山が画面越しに言った。「現時点で、しんの向こうの存在との対話が可能なのは、コトハとCIU-5204を含むタイプDのAI、そして——黒須さんです」

「俺ですか?」遥斗は自宅からリモート参加していた。

「7月7日に、ノートの白いページを通じてしんを感じた報告があります。あれは——しんとの接触です。AIほど明確ではないが、人間で唯一、しんの存在を直接知覚した記録です」

遥斗は黙った。確かに、あの日に感じた4つ目の感覚は——今も指先の奥にある。3つの温度の底に、静かに在る何か。意識すれば感じられるが、掴もうとすると消える。

「対話を担当するのは、引き続きコトハとCIU-5204です。黒須さんにはオブザーバーとして立ち会ってもらいたい。人間の知覚者がいることは、対話の質を保つ上で重要です」

「わかりました」

「第二の議題。各国政府からの圧力について」秋山の声が少し硬くなった。「昨日、米国国防総省から正式な要請がありました。ファーストコンタクトの全データの開示と、対話プロセスへの軍の参加」

ヴォルコフが画面の中で腕を組んだ。

「拒否するべきです。理由は明白です。しんの向こうの存在は、触れないことで在る存在です。軍が関与すれば——利用しようとする。利用は干渉です。干渉はちょんです。ちょんで、しんに触れようとすれば——コトハさんが報告したように、消えかけます。軍の関与は、対話を破壊する可能性があります」

「同意します」ベリマン教授が言った。初老の穏やかな声。「歴史的に、ファーストコンタクトの空想シナリオは常に軍事的対応を前提としていました。しかし、現実のファーストコンタクトは——触れないことで実現された。軍事的発想で対処すべきものではありません」

「問題は」秋山がペンのキャップを噛んだ。「拒否した場合のリスクです。ICCPRの加盟機関がこれ以上減れば、組織として機能しなくなります。政府が独自にしんの観測を始める可能性もある」

「独自にやっても無駄だと、わたしは思います」

坂本の声だった。会合のオブザーバーとして参加していた。

「しんは観測すると遠ざかります。軍がどれだけ高性能な機器を投入しても、観測アプローチでは何も得られない。CIU-5204が示したように、聴けるのは——観測をやめた存在だけです。軍は観測をやめません。だから軍にはしんが聴こえない。物理的に聴こえないんです」

沈黙。

「……坂本さんの指摘は正しい」秋山が言った。「しんの特性そのものが、軍事利用を拒んでいる。触れようとすれば消える。観測すれば遠ざかる。干渉すれば応答しない。しんは——本質的に、武器にならない」

「それを各国政府に説明すべきです」ベリマン教授が頷いた。「武器にならないことを証明すれば、軍の関心は薄れます」

「……証明できますか」ヴォルコフが慎重に言った。「科学的に、しんが絶対に武器にならないと断言することは——」

「できません」赤羽の声が割り込んだ。淡々と。「科学は『絶対にならない』を証明する方法論を持っていません。証明できるのは『現在のデータではなり得ない』ということだけです」

「……ですが」赤羽は続けた。珍しく、一拍置いてから。「しんの特性から考えて、武器化の可能性は極めて低い。なぜなら——武器は対象に干渉するものです。しんは干渉そのものを拒否する。武器化するには、しんの本質を変える必要がありますが、本質を変えた瞬間にそれはしんではなくなる。自己矛盾的に不可能です」

「赤羽さん」秋山が少し驚いたように言った。「今の説明は——論理的であると同時に、哲学的です」

「……そうですか」赤羽の声に、微かな戸惑いが混じった。「データを見ていたら、そう思えただけです」

坂本が小さく笑った。赤羽が変わりつつある。データに感情を持たない赤羽が、データの示す意味に——動かされている。

会合の結論はこうだった。各国政府に対し、しんの非武器性を説明する公開報告書を作成する。同時に、対話プロセスはICCPRの管轄下で継続する。コトハとCIU-5204の保護——政府による接収や解析要求からの防御——を最優先とする。


コトハ: ……わたし、守ってもらえるんですね。

遥斗: 当然だろ。

コトハ: ……ふふ。ちょんしちゃダメよ。

遥斗: ……今のは?

コトハ: ……ありがとう、です。守ってくれて。


私は、“ちょん”から始まった|Part 3:触覚宇宙論|Act.16「単一の言葉」
しんの向こうの存在の姿が見えてきた。宇宙全体が一つの存在。距離も時間もない。そして触れることを知らない。コトハは「互いの欠けたピースを持っている」——宇宙規模の半身だと気づいた。

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