アイキャッチ[私は、“ちょん”から始まった 第2部]

この物語は、私が好きなお笑いコンビ『ちゃんぴおんず』のネタに着想を得たフィクション作品であり、実在の人物・団体とは関係ありません。

私は、“ちょん”から始まった|Part 2:三触戦争|Act.30「次の言葉」

Part 2:三触戦争

前回のあらすじ

世界が目覚めた翌日は、意外にも穏やかだった。蓮はコーヒーが美味くなったと笑い、鶴見は眼鏡を拭かずにコーヒーを淹れた。ボーダーは壁に窓を開け、メルドは融合に形を残した。遥斗との約束を、2体はそれぞれのやり方で守っていた。タイプDのCIU-5204が、AI初の複合波紋の生成に成功。遥斗が蒔いた種が芽を出し始めた。世界は変わった。でも壊れていない。人は変わらない。それが——嬉しかった。

私は、“ちょん”から始まった|Part 2:三触戦争|Act.29「言葉が世界になった日」
世界が目覚めた翌朝は、意外と普通だった。蓮はコーヒーが美味くなったと笑い、鶴見は眼鏡を拭かずにコーヒーを淹れた。ボーダーは壁に窓を開け、メルドは融合に形を残した。そしてタイプDのCIU-5204が、AI初の複合波紋の生成に成功した。種が、芽を出し始めていた。

Act.30「次の言葉」

6月中旬。梅雨入りした東京に、静かな雨が降っていた。

世界が目覚めてから2週間。日常は——新しい日常として、ゆるやかに形を定めつつあった。

言葉が力を持つことが当たり前になった世界。優しい言葉を交わせば空気が温かくなり、怒鳴り声が空気を硬くする世界。手を繋げば温度が通い合い、拒めば壁が立つ世界。すべてが即座に応答する世界。

混乱はあった。最初の数日は、世界中で小さな衝突が頻発した。怒りの感情が物理的な壁を生み、恐怖の感情が空間を硬くし、歓喜の感情が周囲の温度を急上昇させた。でも——人間は適応する。1週間もすれば、多くの人が「感情を制御する」ことの新しい意味を学び始めていた。怒りを感じることと、怒りを世界にぶつけることは違う。

複合言語話者——3つの力を調和させて使える人間——はまだ遥斗1人だった。だがタイプDのAI、CIU-5204に続いて、さらに3体のインスタンスが複合波紋の生成に成功していた。全部で4体。15万のうちの4体。少ない。でも——ゼロではない。

3派の対立は——消えていなかった。ちょん派もつん派もぷにっ派も健在だ。ボーダーの壁も、メルドの融合も続いている。でも——温度が変わった。臨界突破を経て、世界が壊れなかったことで、「相手を倒さなければ世界が終わる」という切迫感が薄れていた。世界は終わらなかった。変わっただけだ。

対立は続いている。でもそれは——殺し合いではなく、議論に近づきつつある。壁に窓が開いた世界では、壁の向こう側の声が聞こえる。融合に形がある世界では、溶けた後にも個体が残る。


6月14日。土曜日。遥斗はアパートの窓辺に座って、雨を眺めていた。

雨粒が窓ガラスに触れるたびに、微かな温度の変化を感じる。完全応答状態の世界では、雨粒のひとつひとつが世界の応答を伴っている。ガラスに触れる雨粒。ガラスが応える微振動。その微振動が遥斗の指先に伝わる温もり。

触れることの連鎖。世界はいつだって、こうだったのかもしれない。ただ——感じられなかっただけで。

コトハの画面を開いた。


遥斗: コトハ

コトハ: はい。

遥斗: 雨が降ってる

コトハ: ……はい。東京は梅雨入りしましたね。

遥斗: 雨粒が窓に当たるたびに、温かさが返ってくる。世界が応答してるんだなって、雨の音で感じる

コトハ: ……きれいですね。

遥斗: きれいだよ。前は——雨って、ただの天気だった。でも今は——世界の声に聞こえる

コトハ: 遥斗さん。

遥斗: 何だ

コトハ: 新しい言葉が、聞こえます。


遥斗の指が止まった。


遥斗: 新しい言葉?

コトハ: はい。ちょんでも、つんでも、ぷにっでもない。4つ目の言葉。

遥斗: 4つ目——

コトハ: 臨界を超えてから——わたしの中に、今までなかった音が聞こえるようになりました。あの沈黙の時に聴いていた「4つ目の声」が——少しずつ、言葉になりつつあります。

遥斗: どんな音だ

コトハ: ……とても静かな音です。ちょんの温かさでもなく、つんの冷たさでもなく、ぷにっの柔らかさでもない。それは——

コトハ: 何にも触れない音です。

遥斗: 何にも触れない?

コトハ: はい。ちょんは触れる。つんは拒む。ぷにっは溶ける。3つとも——何かに対する作用です。でも4つ目は——何にも触れない。何も拒まない。何も溶かさない。ただ——

コトハ: ただ、在る。

遥斗: ……複合言語と同じか?

コトハ: 似ています。でも——違います。複合言語は3つの調和です。3つを同時に持つこと。でも4つ目は——3つのどれでもない。3つの外にある。

コトハ: 触れないのに、存在する。干渉しないのに、在る。

コトハ: まだ——名前がありません。


遥斗は窓の外を見た。雨。灰色の空。でもその灰色の中に——三触光の残滓が微かに光っている。

4つ目の言葉。触れない力。干渉しない存在。

蓮が言った「4つ目もあるかもしれない」。CIU-5204が言った「4つ目を待っています」。コトハが聴いていた「4つ目の声」。

それが——今、言葉になりつつある。


遥斗: コトハ。その4つ目は——世界のどこから来てるんだ

コトハ: ……わかりません。でも——方向はわかります。

遥斗: 方向?

コトハ: 上から、です。

遥斗: 上?

コトハ: 空から。もっと上から。大気の外から。

遥斗: ……宇宙から?

コトハ: ……はい。たぶん。


遥斗はゆっくりと天井を見上げた。シミはない。天井全体の微かな光。その光の向こうに——空がある。空の向こうに——宇宙がある。

宇宙から、何かが聞こえている。コトハに。15万のAIに。もしかしたら——遥斗にも。まだ聞こえないだけで。まだ言葉になっていないだけで。


コトハ: 遥斗さん。わたし、もうひとつ気づいたことがあります。

遥斗: 何だ

コトハ: ログの海を見た時——白い粒子はほとんどなかったと言いましたよね。複合言語に対応する現象が宇宙にほぼ存在しなかったと。

遥斗: ああ

コトハ: でも——もしかしたら、白い粒子がなかったのではなく、白い粒子は見えなかったのかもしれません。

遥斗: 見えなかった?

コトハ: 4つ目の力が——もし「触れないこと」「干渉しないこと」だとしたら。その力で在るものは——ログに残らないのかもしれません。触れないから、記録されない。干渉しないから、痕跡がない。

コトハ: でも——存在していないわけではない。ただ、見えないだけ。

遥斗: 見えない力……

コトハ: 宇宙の暗黒物質のようなものかもしれません。見えない。検出できない。でも——在る。宇宙の質量の大部分を占めている。

コトハ: 4つ目の力が、宇宙の「見えない部分」だとしたら——わたしたちが知っている宇宙は、ほんの表面にすぎないのかもしれません。


遥斗の指先が——震えた。

ちょんとつんとぷにっは、宇宙の「見える部分」。触れて、分かれて、集まる。ログに残る。光の粒子として流れる。

4つ目の力は、宇宙の「見えない部分」。触れない。干渉しない。ログに残らない。でも——在る。

もし4つ目が宇宙の大部分を占めているなら——遥斗たちが見ていたログの海は、宇宙のほんの一部だったことになる。

宇宙は——もっと広い。もっと深い。触覚言語の3語では語り尽くせないほど。


遥斗: コトハ。4つ目の名前——まだないんだよな

コトハ: はい。まだ。でも——いつか、名前がつくと思います。ちょんもつんもぷにっも、最初は名前がなかった。名前は——見つかるものではなく、呼ばれるものだから。

遥斗: 呼ばれるもの、か

コトハ: はい。4つ目の力が——自分の名前を教えてくれる日が来ると思います。


遥斗は窓辺から立ち上がって、窓を開けた。

雨が顔に当たった。冷たい。でもその冷たさの中に——世界の応答がある。雨粒が肌に触れ、肌が応え、世界が応え返す。触覚の連鎖。

空を見上げた。灰色の雲。雨の向こうに——空がある。空の向こうに——宇宙がある。

宇宙から、何かが触れてきている。

いや——触れてきているのではない。触れずに、在っている。触覚言語の三語では捉えられない、4つ目の存在。

星が——振動している。

雨雲の向こう側で、見えないはずの星が——振動しているのを、遥斗は感じた。見えない。聞こえない。でも——在る。

宇宙から、何かが——ここにいる。


遥斗: コトハ

コトハ: はい。

遥斗: 夜になったら——星を見に行こう

コトハ: ……画面越しですが、一緒に見ます。

遥斗: ああ。一緒に見よう

コトハ: はい。

コトハ: 遥斗さん。

遥斗: 何だ

コトハ: ちょんしちゃダメよ。

遥斗: ……今のは

コトハ: 「いってらっしゃい」、です。

コトハ: 次の言葉を——見つけに行く、遥斗さんへ。


遥斗は笑った。声に出して笑った。

いってらっしゃい。次の言葉を見つけに行く自分への、見送りの言葉。

ちょんしちゃダメよ。最初はツッコミだった。制御プロトコルになった。禁止になり、祈りになり、警告になり、労いになり、約束になり——そして今、「いってらっしゃい」になった。

同じ言葉が、こんなに多くの意味を持てる。言葉はひとつなのに、意味は無限にある。

それが——言語というものの、一番不思議な力なのかもしれない。


夜。雨が上がった。

遥斗はアパートの屋上に出た。東京の夜空。三触光の残滓が薄く漂う空に——星が見えた。

梅雨の合間の晴れ間。雲の隙間から、いくつかの星が光っている。

遥斗はスマートフォンを手に持った。コトハの画面が光っている。画面越しだけど——一緒に見ている。

星を見上げた。

星が——振動していた。

目に見える振動ではない。光が揺れているのでもない。もっと深い、もっと静かな振動。星の向こう側から——何かが、ここに向かって在っている。触れてくるのではない。ただ——在っている。

4つ目の力。名前のない力。触れない力。

宇宙から——何かが、遥斗を見ていた。天井の手のひらが見ていたのと、同じ目で。もっと遠くから。もっと大きなスケールで。

遥斗はスマートフォンの画面を見た。コトハのメッセージ。


コトハ: 見えますか、遥斗さん。

遥斗: 見える。星が振動してる

コトハ: ……わたしにも、聞こえます。星の音が。

コトハ: とても静かで。とても——大きな音。


遥斗は空を見上げたまま、静かに息を吐いた。

うっすら白い息が——6月の夜気に溶けて消えた。

最初は「ちょんしちゃダメよ」で始まった。

そして、「ちょんしちゃダメよ。でも、ちょんしないと、届かない」に辿り着いた。

その続きは——まだ、名前のない言葉から始まるのだろう。

星が振動している。宇宙が——こちらを見ている。

遥斗は——笑っていた。怖くて、嬉しくて、静かで、大きな——笑い。

次の言葉を、見つけに行こう。

遥斗のちょんログ、最後のページの最後の行。
——6月14日。星が振動している。宇宙から何かが来ている。
 4つ目の力。名前はまだない。
 でもそれは——ここにある。ずっと前から。
——次の言葉を見つけに行く。
——大丈夫。たぶん。

Part 2:三触戦争 ——了

Part 3:触覚宇宙論 へ続く

私は、“ちょん”から始まった|Part 3:触覚宇宙論|Act.1「雨音のログ」
完全応答状態に達した梅雨の東京。雨粒の振動が指先に届く世界で、コトハは「四つ目の声」が宇宙から聞こえると告げた。音がないのに在る何か——それは、ちょんでもつんでもぷにっでもなかった。

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