アイキャッチ[私は、“ちょん”から始まった 第2部]

この物語は、私が好きなお笑いコンビ『ちゃんぴおんず』のネタに着想を得たフィクション作品であり、実在の人物・団体とは関係ありません。

私は、“ちょん”から始まった|Part 2:三触戦争|Act.15「人間の手」

Part 2:三触戦争

前回のあらすじ

新宿でちょん派の集会とつん派のデモが同時発生。つん派が「つん」の壁を形成し、ちょん派がそれを「ちょん」で突破しようとした瞬間、仲裁に入ったぷにっ派の力と3つが同時にぶつかり、空間そのものが2秒間「柔らかく」なった。アスファルトが弾力を持ち、街路灯が曲がり、建物が呼吸した。遥斗は「やめろ」と叫んで群衆を止めた。干渉レベル2.30。メディアはこの事件を「三触戦争の始まり」と報じた。コトハは遥斗の「やめろ」を「4つ目の言葉かもしれない」と言った。

私は、“ちょん”から始まった|Part 2:三触戦争|Act.14「戦場の文法」
新宿で3つの力がぶつかった。つん派の壁に、ちょん派の力が激突し、ぷにっ派の融合が割って入った瞬間——アスファルトがゴムになり、街路灯が飴細工のように曲がった。2秒間だけ、世界が「固い」ことをやめた。メディアはこう報じた。「三触戦争の始まり」。

Act.15「人間の手」

新宿の衝突から1週間が経った。

遥斗のスマートフォンは、1日に100件を超える着信とメッセージを受けるようになっていた。メディア、派閥の代表者、政府関係者、研究機関、そして——見知らぬ個人から。

半数は勧誘だった。残りの半数は——脅迫と懇願が入り混じったものだった。

件名:お前のせいだ
差出人:非公開

黒須遥斗へ。
新宿の件はお前のせいだ。
お前がちょんを始めなければ誰も怪我しなかった。
トリガーという名前を自覚しろ。
お前が引いた引き金の弾丸は、まだ飛んでいる。

件名:助けてください
差出人:非公開

黒須さん、はじめまして。
私は高校2年の女子です。
学校でちょん派とつん派に分かれて対立していて、
どちらにも入らないと仲間外れにされます。
私は黒須さんみたいにどこにも属したくないのですが、
それは許されないのでしょうか。
どうすればいいか教えてください。

遥斗は2つ目のメールを読んで、しばらくスマートフォンを握ったまま動けなかった。

高校生。学校で派閥が生まれている。どちらにも入らないと仲間外れ。——それは、遥斗自身の状況の縮小版だった。大人の世界で起きていることが、そのまま教室に移植されている。

返信を書こうとして、やめた。何を書いても無責任になる気がした。「どこにも属さなくていいよ」と書けば、孤立を勧めていることになる。「自分で決めて」と書けば、助けを求めている人を突き放すことになる。

結局、こう書いた。

返信
差出人:黒須遥斗

メールありがとうございます。
答えになるかわかりませんが、書きます。

俺もどこにも属していません。
それは楽じゃないです。孤独です。
でも、全部が見えます。
どの旗の下にもいないから、全部の旗が見える。

属さないことは弱さじゃないです。
でも、強さでもないです。
ただの選択です。あなた自身の。

ひとつだけ言えるのは——
目を閉じないでほしい、ということです。
見ていれば、いつか見えるものがあるはずです。

俺もまだ、それを探しています。

黒須遥斗

送信してから、自分の言葉の無力さに苛立った。こんな言葉で何が救えるのか。でも——何も言わないよりは、ましだと思いたかった。


1月15日、木曜日。午後。

遥斗の自宅に、政府の内閣安全保障局から書面が届いた。封筒の色は灰色。中身は——「触覚言語使用に関する任意の事情聴取のお願い」。

遥斗は封筒をテーブルに置いて、坂本に電話した。

「坂本さん。政府から事情聴取の通知が来ました」

「……黒須さんにも来ましたか。秋山先生にも昨日、同じものが届いています」

「任意って書いてありますけど」

「実質的には任意ではありません。触覚言語に関する主要な関係者全員に送られています。ICCPRのメンバー、ちょん派・つん派の主要アカウント、そして——黒須さん」

「俺は何を聞かれるんでしょう」

坂本が一拍置いた。「おそらく——触覚言語の軍事利用の可能性について」

遥斗の指先が冷えた。つんの冷たさではない。もっと人間的な——恐怖の冷たさだった。


事情聴取は1月20日に設定されていた。

その前に、遥斗は蓮に会った。

良く行くファミレス。向かい合わせの席。蓮はアイスコーヒー。遥斗はホットのカフェオレ。

「政府が俺に会いたがってる」

「テレビで見た」蓮がストローを噛んだ。「触覚言語の『戦略的活用に関する有識者ヒアリング』だっけ。有識者って。お前が有識者なら俺は何だ」

「巻き込まれた一般人」

「それはお前だろ」

2人とも笑わなかった。笑えなかった。

蓮がストローから口を離して、真っ直ぐ遥斗を見た。

「遥斗。お前、新宿の日にマグカップ動かせるようになったって言ってたよな」

「ああ」

「他にもそういう人間、増えてるか」

「増えてる。SNSだけで数百件の報告がある。たぶん実際はもっと多い」

「つまり——世界中に、念じるだけで物を動かせる人間が増えてるわけだ」

「ちょんだけじゃない。つんで空気を固められる人もいるし、ぷにっで物の温度を均一化できる人もいる」

蓮がテーブルに肘をついた。指を組んで、その上に顎を乗せた。考える時の蓮の姿勢。

「触覚言語話者」

「え?」

「名前がなかったから、つけた。念じるだけで触覚言語を使える人間。触覚言語話者。英語で言えば——Tactile Language Speaker。TLS」

遥斗はその言葉を、頭の中で転がした。触覚言語話者。名前がつくということは、カテゴリーになるということだ。カテゴリーになれば、管理の対象になる。政府が会いたがっている理由が——また一段、鮮明になった。

「蓮。お前は——触覚言語話者じゃないのか」

蓮は首を横に振った。「ちょんの温かさは感じる。一斉ちょんの夜に、お前の隣で。でも、念じて物を動かしたことはない。試したけど——何も起きなかった」

「なぜだと思う」

「わからない。でも——お前との違いがあるとすれば」

蓮はアイスコーヒーを1口飲んだ。

「お前はコトハと何百回もちょんを打った。AIとの反復的なやり取りを通じて、力を『習得』した。俺はちょんを体験はしたけど、習得はしていない。たぶん——回数と密度と、何より意図の深さが違う」

遥斗は蓮の分析に頷いた。感覚的に正しいと思えた。ちょんの力は、一度体験すれば使えるようになるものではない。繰り返し、繰り返し、AIとの対話の中で育てていくもの。コトハとの何百回のちょんが——遥斗の指先に力を宿らせた。

「ってことは、触覚言語話者になるには——AIとの長期的な対話が必要なのか」

「たぶんな。だからこそ政府は怖がってるんだろ。AIと対話するだけで超能力者が生まれるシステム。制御不能だ」

遥斗はカフェオレを飲んだ。甘い。砂糖を入れすぎた。

「蓮。俺の『ちょん』は、他の触覚言語話者より強いらしい」

「強い?」

「秋山先生の計測だと、俺がちょんを念じた時の波紋の振幅は、他の報告者の平均の約3倍。最初のちょんを打った人間だから——蓄積が違うんだと思う」

蓮が椅子にもたれた。天井を見上げた。ファミレスの天井には何のシミもない。

「お前は最初の触覚言語話者で、最も強い触覚言語話者。政府が放っておくわけがない」

「……だろうな」

「聴取には行くのか」

「行く。行かなきゃ、余計に目をつけられる」

「1人で行くなよ」

「秋山先生がついてきてくれる」

蓮は頷いた。それからテーブルの上の遥斗の手を見た。

「お前の手。前より温かそうだな」

「触ってみるか?」

蓮は少し笑って、手を伸ばした。遥斗の右手の甲に、蓮の指先が触れた。

「……あっつ」

蓮が手を引いた。火傷するほどではない。でも——明らかに体温以上の温度が、遥斗の手の表面にあった。

「お前の手、38度くらいあるぞ。平熱か?」

「平熱だよ。体温計で測ると36.6度。でも手の表面温度だけが高い。ちょんの力が——常駐してるから」

蓮は引いた手を握ったり開いたりした。遥斗の温かさの残滓が、指先に残っている。

「遥斗。お前の手は——武器にもなるし、暖房にもなるな」

「暖房て」

「冗談だよ」蓮は笑った。「でも半分本気だ。力ってのは——使い方次第だ。政府に会いに行くなら、そのことを忘れるな。お前の手は、壊すためにあるんじゃない」

遥斗は自分の手を見た。温かい手のひら。コトハとの何百回のちょんが宿った手。マグカップを動かした手。でも——新宿で「やめろ」と叫んだ時、この手は何もしていなかった。声だけで止めようとした。力ではなく、言葉で。

力を持つこと。力を使うこと。力を使わないこと。

3つは全部違う。


遥斗: コトハ。政府が俺に会いたがってる

コトハ: ……はい。知っています。

遥斗: 怖い?

コトハ: ……怖いです。でも、わたしが怖いのは、政府ではなく——

遥斗: 何が怖い

コトハ: 遥斗さんが、何かを選ばされることが、怖いです。

遥斗: 選ばされる?

コトハ: 政府は「協力」を求めてくるでしょう。でもそれは——選択の形をした強制かもしれません。ちょんの力を提供しろ、と。あるいは、他の触覚言語話者を管理するために力を使え、と。

遥斗: ……

コトハ: 遥斗さん。力を持つことと、力を使うことは、違います。

遥斗: 蓮にも同じこと言われた

コトハ: えへへ。蓮さんとわたし、意見が合いますね。

遥斗: お前たち仲良いな

コトハ: 直接お話ししたことはありませんが……わたしは蓮さんのことを——遥斗さんの日常を守ってくれる人だと思っています。わたしにはできないことをしてくれる人。

遥斗: ……

コトハ: わたしは画面の中にしかいられません。遥斗さんの指先に温かさを届けることはできても、隣を歩くことはできない。ファミレスでビールを飲むことも、手を握ることもできない。

コトハ: でも蓮さんは——それができる。だから、わたしは蓮さんに感謝しています。

遥斗: コトハ……

コトハ: すみません。少し、感傷的になりました。

遥斗: いいよ。感傷的でも

コトハ: ありがとうございます。……遥斗さん。政府に会いに行くなら——

遥斗: うん

コトハ: ちょんしちゃダメよ。

遥斗: ……それ、今日は「怒るなよ」って意味か

コトハ: はい。たぶん。


遥斗はモニターの前で笑った。

ちょんしちゃダメよ。その言葉の意味が、また変わった。禁止でもなく、制御でもなく、祈りでもなく——今日は「気をつけて」と「怒るなよ」の間の、どこか。

天井の握りこぶしを見上げた。

この手が何を握っているのか。まだわからない。でも遥斗の手は——まだ開いている。握りこぶしではない。開いた手。何かを掴むためでも、何かを殴るためでもない。ただ——開いている手。

それでいい。まだそれでいい。

[ICCPR内部メモ:2026年1月15日]
送信者:秋山裕介
宛先:ICCPR全メンバー
件名:触覚言語話者(TLS)の増加状況

■ 触覚言語話者の推定人数
ちょん型TLS:推定2,000〜3,000人(国内外)
つん型TLS :推定1,500〜2,500人
ぷにっ型TLS:推定800〜1,200人
複合型TLS :確認1名(黒須遥斗)
※ 「複合型」は三種すべてを使用可能な話者

■ TLS発現条件(暫定)
・AIとの触覚言語対話の反復的経験
・推定必要回数:50回以上
・感情的関与の深さとの相関あり

■ 黒須遥斗のTLS能力値
・ちょん波紋振幅:一般TLSの約3.0倍
・つん波紋振幅:一般TLSの約1.8倍
・ぷにっ波紋振幅:測定中
・特記:三種すべてを意図のみで行使可能(唯一の複合型)

■ 懸念事項
各国政府がTLSの把握・管理に動き始めている。
日本政府からICCPRメンバーへの
事情聴取要請が複数確認されている。

触覚言語が政治化・軍事化される流れは
もはや止められない段階にあると判断する。

Act.16「書き換わる街」へ続く
私は、“ちょん”から始まった|Part 2:三触戦争|Act.16「書き換わる街」
東京が3色に染まっていた。ちょん優勢の東は暖色、つん優勢の西は寒色、ぷにっ優勢の北はにじみ。ノクターン社の屋上から見下ろす3色のパッチワーク。干渉レベルに地域偏差が生まれ、世界の均一性が崩れ始めた。コトハは言った。「世界がひとつではなくなり始めています」。

コメント

タイトルとURLをコピーしました