【食事の味を忘れる時】身体からのSOSと、感覚の麻痺
「デスマーチ」が日常になると、感覚は徐々に磨り減っていく。 アパートを借りてウィークリーマンションを出たものの、結局そこは「寝るためだけの場所」に過ぎなかった。自炊をしていた頃の記憶は遠のき、食事はコンビニ弁当や某バーガーチェーンのチーズバーガーだけという「燃料補給」へと変わった。
通帳の数字だけは、異様な速さで増えていく。 残業代が基本給の3倍。20代前半にしては破格の収入を得ていたが、使う場所もなければ、喜ぶ気力もない。私たちは、高給取りの「動く死体」になりかけていた。
そんなある日、珍しく昼休みの時間に余裕ができた。 私を含めた新人3人で、「たまには贅沢をしよう」と1人前5,000円もする高級焼肉店へ向かった。
運ばれてきたのは、見事な霜降りの和牛。普段のチーズバーガーなら何十個買えるだろうか。私たちは期待に胸を膨らませ、肉を焼いた。
肉が焼けるいい匂い。だが、口に運んだ瞬間。
「…………?」
3人とも、箸を止めて顔を見合わせた。 和牛の脂の甘みも、肉の旨みも、何一つ感じない。 まるで「塩と一緒に、無機質な温かい固形物」を噛んでいるような感覚。 焦った私はタレを多めにつけてみたが、塩辛くなっただけで、肉の味がしない。
結局、タレをつけると塩辛いだけなので、焼いただけの味のない肉を、ただ腹をいっぱいにしただけ。店を出て、確認のために買ったコーヒーすら、ただの「苦いお湯」にしか感じられなかった。
「3人とも、味覚が消えた」
正確には、塩味ばかり強烈で、旨味が感じられなくなった。
それは偶然などではない。極限状態に置かれた脳が、生命維持に不要な機能をシャットダウンし始めた証拠。身体が発信した、最大級の警告(SOS)だった。
しかし、恐ろしいのはその後のことだ。 その日の夕方、何の前触れもなく味覚が戻った。コーヒーの味がする。肉の脂を思い出し、唾液が出る。
「なんだ、一時的なものか」
私たちはそう笑い合い、再びキーボードに向かった。
それが、崩壊のカウントダウンが本格的に始まった合図だとは、誰も気づかぬままに。
構成:高井優希
編集:Mini=G


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